Category: 意見・異見

日本語で書かれている意見・異見

拙著の例

今年(2013)2月に出版された私の本は主にここにも挙げているテーマ = 養生 にかんするものだ。

日頃の生活でちょっとした工夫をすれば、何も買わないで、どこにも行く必要ないままで運動や自己管理が出来る。


ここ例として「歯磨き運動」のサンプルを乗せる。

医道の日本社で出版された私の拙著 「トーマス 先生の話を聞いてみませんか」 より

私の本から「医道の日本」2013年6月号に転載された分もある。

医療とお金

一方社会福祉に掛かる財源が既に足りなくて、将来が大変だと言われて、他方で「先進医療」(大変お金のかかるもの)と「医療産業」が進められている。先進医療は想像が絶するほどのお金が掛かるから、それを提供する会社や施設は喜ぶ一方で社会に大きな負担をかけることになる。無論裕福の人しか受けられない。又医療産業は一つのビジネスであっては結構ですが、本来「病人」、或いは病を装う/想像する人がお客さんとして必要です。言い換えれば、人々はなるべく病気になって貰う事はビジネスの基盤だ。

私は日頃お薦めする日常生活の中で自分なり意図的「不便」なものを見出し、それを「健康法」にするのはお金も掛からないし、特定な場所も決まったファッションも要らない。要するにビジネスは生まれてこない。どちらかと言えば現在行われている「健康ビジネス」を妨害しているようなものだ。

そう言うわけで企業/国/団体(医師会など)/保険会社などは私が常に発している戯言に興味がない - 敵対心までありそう。しかし、我子は現在既に加齢し過ぎた社会を支えるにはかわいそうと思われる負担が押して付けられている。私の戯言をもう少し耳を貸していただければ、そして東洋医学の知恵に目を向けてしまえば、現在年間(保険部分)約40兆円の医療費が大幅減少(25%??)させることが出来ると信じる。

生活環境と工夫

文明の利器に齎されている生活の便利さが帰って人を病気にするならば、結論は比較的簡単なものだと思う: 意図的不便な事をする。
下記の拙著例 - 歯磨き運動 - のように「必要ない」動きをわざと生活に取り入れることによって、「楽」と言った甘い罠から脱出する最初の一歩になるでしょう。
具体的どのような工夫をすればここで指定しなくても良いとおもう。それぞれ自分の生活に合ったものを考えて頂きたい。だが例えば洗濯物を干す→洗濯物の籠を洗濯機から干す場所まで運ぶ時、腕を伸ばして籠を体から放して運べば。
お茶やコーヒーを入れるとき薬缶を体から放してお湯を注ぐ。
二階に行く時階段のステップ一段ずつで足を乗せた時一端片足で体を押し上げる(爪先立ち)すると脚の訓練できる。等・・・

何か「不便」を作るチャンスは略無限にある。

生活習慣

無論、「生活」は日頃毎日の行動全てを包括的に表現したものだ。
そうであるならば、同じく一目瞭然に人間の「生活」例えば100年ほど前と比べて大きく変ってしまった。もっとも目立っているのは恐らく文明の利器に齎されている変化:生活のどの部分に何かの「機械」が侵入してきて、生活は「楽」になったと人々が喜ぶ。
問題は「楽」になればなるほご「楽園」には近付かない。

詳細の事はここで省略させて頂きますが、先ず挙げるべきのは食生活と運動。現代の先進ヶ国において今暫く飢餓はなかったから、いつでも、季節はずれのものを含めて、満腹(過ぎるほど)まで食べられる。「自然感覚」の失っている現代人に致命的になる。
それと同時に機械文明によって進行させられるのは病的運動不足。又は人間が「動物 = 動く物」であるのに、一日座ったままで過ごす - 植物のような生活 - 事になった。

そういった「生活習慣」は今誰でも耳にしたことある「生活習慣病」を引き起こす。
人間は自らの行動で病気にしてしまう事を「医療産業」にとって金の卵を産む鶏のようなビジネスチャンスとして捕らえている。日頃「生活中!」でどこでも見られる「健康食品」や「健康商品」の氾濫と絶えない広告は物語っている。

鍼灸職人育成場

タイトルは兎も角ですが(その辺はまだ考え中)、そのような事をやりたくなった。
その訳は手短に説明する。
数年前当院で治療を受けている人はその治療(雰囲気)の影響で今までの堅い就職を止め、鍼灸師を目指して専門学校へ行くようになった。来年の春に国家試験ある。先日「その後はどうしたら良いかと悩んでいる」と相談に来た。
相談の際何気なく仲間何人を集めて、共同で余りお金の掛からない形で「練習用な治療院」でもやればいいのではないかと言った。現実問題としてどこかの整形外科や接骨院で勤めて「経験を積み重ねる」のは至難の業でしょう。指示通りで動いて、何かの機械のタイマーをセットしたりして・・・そのままでは「鍼灸治療」いつまでも経験しないでしょう。
大先生の弟子になってもいいですが、その場合その先生のスタイル/教えに限定される可能性が高い。
出来れば新米の鍼灸師本人の思うままで治療を試みて欲しい。思う通りには行かなければ、ある程度臨床経験のある人に意見を求められる環境が望ましいと私は思う。言ってみれば昔のドイツの「マイスター制度」のように。どちらかと言えば私は昔多摩川病院で勉強させて貰った時そのような環境だった。

そこで「提案」ある。
2年ほど前に義理のお母さんがなくなった。その家で妻現在週に2-3回程度一人ずつのピアノの生徒を教えている。それ以外あの家は開いている。具体策はまだ練っていないが、本格的な治療院ではないにしても、上記のような「鍼灸職人育成場」は作れるのではないかと思う。
もしそのような所で鍼灸学校卒業直後で自分なり多少の経験(どんな偉い先生も何時か初心者だった!)を積み重ねるチャンスを求める者がいれば、一度話し合いましょう。

家を貸して金儲ける事は考えていない!でもその家の維持するために掛かる経費(家を使っても使わなくても掛かる!)の足しになると嬉しい。

外国人にも見せてください

私のサイトには 英語 やドイツ語のページもあるから時々外国の方から『既に中国の鍼を「知っている」か「勉強した」のですが、出来れば「日本の鍼」について 勉強 したいと問い合わせがある。
私自身は大変未熟ですので、あと200年間の修行をしないと一人前の鍼灸師にさえなれません。まして「日本の代表」として「日本の鍼」は語れません。
そこで、ご自分の誇り高き「職人気質」を海外(日本以外全世界です!)の方に披露して下さる先生方 - つまり外国の方を自分の治療院で見学させても良いと協力して下さる先生方をさがしている。
ご協力の程、宜しくお願いします。

写真: 二人のオーストラリア人を七沢病院ないの東洋医学科に連れた際私はモデルになって、一時的4人(写真に写っている見学者、東洋医学科の主任ともう一人の職員)が同時に複数の手技を施した・・・

日本の優れている職人技

鍼灸師として手の仕事=鍼灸=真求の仕事し始めてから30年ほど経っているが、後200年ほど修業すれば、何とか一人前の職人になる可能性は皆無ではないと幽かな希望を持っている。

鍼灸治療は大変長い伝統的職人技である。その良さと真価が忘れられないように鍼灸師は努力する。

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ある意味すごい才能だって言われる才能があったとしても、続ける才能さえあれば、
他のどんな才能も凌駕する時が必ず来る。
山口千尋 (靴職人)

写真: 真名瀬漁港。

お灸 - その技術と応用

私は「灸式」な人間
無論この表現は「旧式」と書くべきでしょうが、私はお灸が好きだから敢てそう表現する。
お灸と言う数千年間の実績を持つ民間療法のお蔭で大勢の人は救われた。既に出来ていた病気を治療したり、未だ病気になっていないもの予防(「未病治」と言う故事がある)や国民の健康維持に大いなる貢献をした。
私は大変旧式な職業を営んでいるものですので、体調が不良の状態に傾いてしまい、あるいは特に問題がなくても予防のため自分にお灸する。もしかしたらそ れは「健康増進法」に寄り添っているかもしれない。歯医者に行くと朝晩に10~15分を掛けて丁寧に歯磨きしないと歯が皆腐ってしまう事が常識とよく言わ れる。それに比べて健康維持と予防のため一日一回足の三里にお灸するのは5分で終わる。

写真: 専門学校に行った頃竹の節で作った灰皿。今まで約30年間愛用して来た。

Timeless – priceless

最近目にした治療に関する広告は例外なく時間を細かく「分」単位で指定する。私は患者を分単位で診る能力がないので、治療が終わるまで掛かる時間を指定しない。悩みの多い患者の場合治療時間が長くなるが、「超過料金」などは取らない。そういう意味では私の治療は “timeless” (時間で計り知れない)であるからこそ “priceless” (お金で買えないほど非常に貴重)でもあるかもしれない。
現在実際の状況は異なっても、且つで日本の医療に強い影響を及ぼしたドイツで昔「外来診療」を “Sprechstunde” と言った。直訳では「話す時間」です。

写真: 治療院に使う鉄瓶。いつまでも変らぬ。冬も夏もぬくもりあり

治療内容

鍼治療は極細い金属製の鍼を利用する。流派や考え方は多数あるが、一般的鍼は浅く(2-3mm)或いはやや深めの1cmほど刺され、そのまま暫く放置される(置鍼)。必要に応じて(深い所の筋肉を解すため)もう少し深く刺す場合もある。私個人の好みでいずれの場合患者に鍼による不快感、痛みそして良く「好ましい」とされる「鍼の響き」を与えない。
お灸の場合極小さい艾の塊を皮膚の上に載せて、燃やすが、火が完全に皮膚まで燃える前に指で囲む事によって火を消して患者に余り熱い思いをさせない。このようなお灸は新生児や乳幼児にでも施せるから、大人には全く問題が無いはず。

写真: 治療院の駐車場から見た前面。建物は大分老朽化しているが、それはこちらから何もできない。