地域

Hayama Life – 異国人の異見

以下の町づくりに関する写真(ほぼオリジナルサイズ=もっと見やすい)は Google Photos にも乗せました:

https://photos.app.goo.gl/ihvl9knqqJ58Ouop1

私のような何も分からない異国人はこの葉山町の状態や政策に関して口を挟むべきではないでしょうが、町づくり協会の理事として町づくりに貢献すると期待されている上で矢張り一度意見(異見)の一部を述べさせていただきます。

現時点でこの町に+30年程住んでいるから、自分は何となく「地元」の者と認識しています。仕事柄で物事を生物、取り分け人間の体+精神、に例える癖ありますので、葉山町も一体の生物として捉えたいと思います。
結論は先に言いますと、この町=体の健康状態は余り宜しくありません。

数年前に招かれ、どのような事をすべきかが全く分からないままで葉山の「町街づくり協会」の理事にもなりました。与えられた役割は協会のHP運営する事になりました。日頃理事会などの集まりで話し合われている「政策/政治的」や「予算的」のお話の一部しか分かりません。

協会のHPは定款で定めた葉山のイメージや「別荘文化」に基づいて情報発信し、葉山の生活と文化を大事にすべきとの指示在りました。又は、英文ですと “to keep and create our Hayama Life” があります。

しかし、私にはこの「葉山のイメージ」と言うのはどんなイメージかが良く見えません。他人と異なるのイメージがあるかもしれません。更に、上記の英文にある “our” = 我々が下記に再度触れる富裕層をさしている印象を受けます。「別荘文化」は歴史的な背景の前で発展して来たが間違いないでしょうが、**今**現在圏外な富裕層が地域社会に貢献しない/責任を持たない形で葉山を利用しているように見受けるから、宜しくない負の遺産のように見えます。
この右側にある「家」=別荘(特に酷い例)私は「葉山刑務所」と称しています。
*ここに並んでいる写真は全部灰色ぽい。

この右側にある「家」=別荘(特に酷い例)私は「葉山刑務所」と称しています。
*ここに並んでいる写真は全部灰色ぽい。
右の写真と友に見れば分かる:道や隣接の家(人)に向けて窓一個もあります。太い鉄格子の「玄関」のみ。恰も:「私はあなた達を付き合わないぞ」といっているようです。
別の例です。以下にも「近寄るな」との雰囲気です。
御殿の入り口。Welcome されている様子が全くありません。こちらの世界と「あの世」のような隔たりです。
真名瀬にある「コンドミニアム」=億ション。毎日通るが平日はだれもいない。土日曜日1-2か所に電気付く程度。無論建物灰色(軍事施設風)
真名瀬港の繁多川にある超豪華アパート。建てられているから数年経ったが、つい最近左下にものが入ったようです。しかし、人はいません。こちらも無論建物灰色(軍事施設風)
一般の家でも “Hayama Life” が灰色一触のようです。これは特別な例ではありません。似たような灰色のコンクリートブロックは葉山町に数多く見られます。

私の患者の中に80年代の漁師もいます。その人たちは全員:「昔はこの町でドアに鍵をかける必要性はありませんでした。」と言います。別世界の別荘を作って来ました人たちは災いも町に呼んできました。
昔、圏外な富裕層(大企業の社長など)が「殿様」のような役割を果たし、町に「家来」や「召使」を置き、その他にもある程度地域社会に貢献しました。
しかし、今はそのような殿様の大部分が企業の保養所と共に姿を消し、単純に圏外のお金持ちがこの町で別荘をつくります。余談でしょうが、建築現場を通ると業者の車を見て分かるのは:地元の業者が使われません。御殿作りの「外注」はもしかして「害虫」とも呼べるかもしれません。町に住んでいない為、地域社会に関して責任も関心も持たず、別荘の「スタイル」や環境への影響も一切考えなくて結構のようです。町=行政は別荘を作って何か私に理解出来ない形で税金等を納めてしまえば、後はお好きにして下さいと言った対応しているようです。

工事現場にある職人さんの車:品川と世田谷ナンバー
葉山小道はこんな風
海に面している会社の「保養所」。軍事施設に見えます。
上記の「刑務所」もふくまれるが、この「町並み」のスタイルは如何でしょうか。このスタイルで葉山町が観光名所になれるでしょうか。

お蔭様で葉山町の自然環境が見る見ると「破壊」発され、漁村の時にあったと思われる「街並み」は跡形もなく消え去りました。現在の「街並み」は体の外観で例えてしまえば、統合失調症などの患者に見えます。この街並みを見に来る観光客がいるととても想像し難いです。
今更葉山の完全無秩序な街並みを修正したりする事は無理でしょうが、私は負の遺産と考えている思考や行動を町づくり協会の一員として応援し、継続させる事が信念に反します。

家の近く。木の根っこは辛うじて地面に付いている。危ない!
神明社。写真でよく見えないが、松に絡んだ蔓私は(無断で)切(治療した)、松は原気になった。
同じ神明社で手前にあった太い松の木が切られた。病気か。それとも矢張り手入れの怠りか。
御用邸でさえ多数の木に蔓が絡み、それらの木が時期に死ぬと予想します。手入れする気はないでしょうか。

「葉山のイメージ」=Hayama Life は英文で” to keep and create our Hayama Life” で表現されています。別荘文化を背景にある「我々= our」は矢張り富裕層を指して間違いないでしょう。一般庶民は自分の家でさえ持てないなら、別荘を持っている人たちと別世界に住んでいます。地域社会の一員でない、別世界の人々はここで好き勝手放題出来る遊び場として売り込む葉山のイメージ=Hayama Lifeも町が好きですから街を大事にしたい人にとって受け入れがたいです。または、別荘からこそそこに普段何方もいません。多数の別荘を抱える町は気をつけないと「ゴーストタウン」になりかねません。真名瀬にある二棟のコンドミウムは以下にも極めて豪華でありながら幽霊マンションです。
出来ましたら町のために「葉山のイメージ」を少々一新し、町民に「葉山人気質」の意識があれば嬉しいです。現時点では周りを見て、「葉山人気質」が乏しいように思います。自称の芸術家(こちらも富裕層の人が多いようです)や遊びにしか来ないお金持ちの人たちで「生きている町」が誕生や発展する事見込め難いでしょう。

品川の豪華タクシーがカーブの真ん中に止まり、全ての人に迷惑を掛ける。でもそれはお構いなし・・・

街並み」は統合失調症の印象を与えているならば、周りを見て、日本人が2600年の歴史と誇るべき豊富な伝統のある人である事が行動、伝統の意識や言語(自意識)*の使い方から読み取れない所あります。外国人である私は昔から日本人が自分のルーツは大変素晴らしい伝統(技術)をもっと大事にすべきといい続けて来ました。今のままでは、また専門用語で申し訳ありません、自我同一性危機 (identity crisis) があると思わざるを得ません。
言語の事。見渡す限り日本人は自分の言語=日本語に関して意味不明な劣等感を抱いているのではないかと思わざるを得ません。町を歩いて普通の家の名札の1/3ほど自分の「正しい=公文に表記されている形よりもアルファベットで書いてあります。自分の名前は恥ずかしいのでしょうか。町(葉山だけではない!)の9割以上のアパートやマンションに意味不明な、カタカナで表記される名前がついています。老人施設や医院の場合そこにお世話になる殆どの老人がその名前何を表しているかも分からないし、悪い場合発音でさえできません。そして何かの「大会」をやる時、それを「フェスト」と言わざるを得ないようです。「大会」ってどこが悪いでしょうか。
逆に(外国人)観光客の為にわざと作った「道の名前」にアルファベットを書き加えますが、日本語の分からない外国人はそれらの street name の殆ど解読出来ません。凄い役に立つでしょう。

マンションは当然日本語ではなく、英語もどき = Grand City でないといけないようです。
店の看板はどうしても横文字にしたければ、特に洋食の場合、それはそれで結構ですが、せめて(単語一個しかない)正しいスペルをつかいましょう。”Ristrante” = 間違い!
お年寄りに聞いてしまえば、多分自分はどんな所でお世話になっているかが分からないかもしれません。
ラヴィーレは施設のHPによると「らヴぃー」=フランス語= la vie = 人生 + レ= re = 再びで作られている造語だそうです。しかし、”re-” は英語で “prefix” と言って、言葉の***前***に置かれ、その言葉の意味を変えるものです。例えば “renewal” は見た/聞いた事あるでそう。それは勝手に “newalre” にしてしまえば、だれにも通じない。
日本語には明らかな「単位」で区切れているのに、横文字は全部続いているから、どこで「切れば」分からないでしょう。

この町= community を少々良くするならば、先ずはもっと若い方に声を掛け町づくりに参加して頂く事が望ましい。又、なるべく永住するような職人を招いて、職人気質(個人的それを「職人の武士道」とも称したい所。真面な職人は富裕層や「芸術家」のようなフラフラする者と違って一定の信念を貫く傾向あります。)、を大事にする職人の町にする事は今更生き生きした町に貢献しない別荘文化を促すより良いと信じています。そして葉山人気質に誇りを持っている町民を少しでも増やせたら理想的でしょう。葉山町の行政にもそのような考えを理解して下さるとなお助かります。

この目標に向かって頑張ってみる価値はあります。別世界の人に町を遊び場として提供する事はやるべきことではありませんと確信しています。

観光シーゼン・・・環境客は地元のお店などにお金(飯の種)を運んでくれる事に関して感謝しなければならならいだらう。 しかし、そのような観光客はマナーも常識もない、行儀が悪いし、町全体をゴミで埋めてしまう。程自分達がワショイワショイと運んでくれた飲食物などの残骸を文字通り「山積み」になって、風やカラスなどで当たり前面に撒き散らされる。
右に見えるゴミ・・・コンベニでコンロを買って、海でBBQを楽しんだ後でゴミとコンロを丸ごとを残してくれる。
それはだれかあの連中の家のまん前にやればどうなるだろう。
所々で小さな神様は地域を静かに見守ってくれる。
ワーワー騒ぐよそ者と違って。
日本人はこの静かな気持ちを取り戻して欲しい!私は日本がが「時代の流れ」にそれこそ流されてしまっているから、周りに何が起きているかが見えなくってしまったような気がする。
現代人は何でも物事を素早く片づけてしまわないと、何か損をする、
つまり、時というものを無駄にして、損をしたなどと考えるようだが、
では、現代人が得をしたと考える時をいったいどうするのかと言えば、
それを無駄にする以外に何ら方法を知らないのである。
Erich Fromm ( エーリッヒ・フロム : 1900-1980 )
ドイツ生まれのアメリカの精神分析学者

地域に関する記事もあるから、いくつかのリンクをここにはります:

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