癌と鍼灸
以前学会で発表した事をまとめている。
鍼灸師はどの程度癌の発見に貢献する可能性について学会で発表しました。
その内容の要約はここに記載、
当日使われたスライドはPowerPoint fileをこちら。
(上記のリンクに右クリックすればダウンロード画面が表示され、保存先のフォールダーの指定によりこのPowerPoint fileがダウンロードできます。)
昔も今もよく効く・はり・きゅう
(download: file)
多数の方々は上記の発言に対する反応は「まさか」と驚く事に違いない。しかし最先端で極めて高価の技術を利用するだけは「発達」の兆候ではない。こうした技術や科学の進歩はあまりにも輝かしいから、もう少し自然に密着している人間らしい立場を見失う事も不思議ではないが、今こそまで築き上げた文明の力を発揮する所だ。
健康と統合医療
先ず、健康に関してWHO(世界保健機関)の憲章前文では「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」(“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”)と定義されている。つまり、バランスが取れたら状態を言い、そのバランスが失われた時、全ての側面から取り戻す努力が必要だ。
このような「包括的」な観点をもつ医療は昔から医療の原点でもある。最近これが「統合医学」又は「統合医療」(integrative medicine)と呼ばれ、世界中の注目を浴びている。しかし日本に於いて相変わらず西洋医学(保健医療)と他の医療体系(例えば東洋医学)の「混合医療」は禁止されている。西洋医学に完全頼り切っている。但し、その体系は論議の余地のないほど極めて高価で高度の技術をようする。その目標を実現に当たって要求されるリソースを考えれば国民のためになるとは思えない。WHOはこの問題を既に1983に出版された ”Traditional Medicine and Health Care Coverage” (日本語版:1995「世界伝統医学大全」) 取り上げた。世界各地の人々の保健を充実したいならば、その地域や文化に従来から利用されている手段を検証し、十分の利用価値を裏付けるものなら最先端の技術と統合しなければならない。後にこう言った概念を踏まえて”HFA2000” (Health For All by the year 2000、全世界に於いて)計画が発表された。2004年現在でも実現まで至っていないし、高価の西洋医学のみでは不可能だと判断せざるを得ない。
数多くの大病院にそれこそ多数の医師が勤めている。予約があるのに長時間に待たされた挙句の果てに実際の診察/治療の時間は僅かである事実は医師の数が足りない発展途上国と大差がないように見受ける。
ある程度(かなり)裕福の家庭出身でないと現時点日本に医学を勉強する事が難しいのは、最適の人材を育成するも困難である事を別問題にしても、次のヘッドライン(その横に「ある小児科医師の死」もあった)は貴重な人材を粗末する事示唆する。(その事は無論他の人材に関しても適応する。)過労死になるまで働かせるほど医師の数が足りないはずはないでしょう。無論「医者の不養生」と言う言葉を知らない人はいないでしょう。自分、又は自分の部下、の健康管理がそれほど出来ないものは説得力のある健康指導に務められない。

「診察」の概念も流れ作業と勘違いされているかもしれない。辞書によれば「【診】: {動}みる。みおとしのないようにすみずみまでみて、その事がらについて判断を下す。よくみる。」がある。だが何かを「よく」みたいならば、それなりの時間をかけることが必要です。現在実際の状況は異なっても、且つで日本の医療に強い影響を及ぼしたドイツでは「外来診療」を “Sprechstunde” と言う。直訳では「話す時間」です。「財源不足」に悩まされている日本に於いても即検査やハイテックの駆使に走る事を一旦後回しにして、再びこの「良く診る、ゆっくり話す時間」の原点に戻るとよい。時間を掛けて良く診る事は殆どの伝統医療の一つの特徴でもある。
又、上記に「小児科」と言う例を上げた西洋医学領域は多数の「専門分野」に分けられ、そして更に細分化する傾向がまだまだ続く。「専門家」がいることは当然に頼もしいと必要ですが、専門の事しかしないなら視野が大変狭くなり、冒頭に記載したWHOによる健康の定義に基づく保健診療は難しくなる。ある患者の実話によると「新生児の孫が風邪ひいたらしいから開業小児科に連れたが、そこで新生児を診察できないから、大病院に行くように言われた。」

人材の他に技術的や知能的なリソースにも無駄の部分が多い。左記のヘッドラインにはそれなりの根拠があるけれども、「進歩」と言う概念(信念?)に視野が塞がられ、医療の原点である触診などが軽視あるいは廃止されると、診察の際即に高価の技術を利用する事になる。矢張り患者の実話ですが、肩の痛みを訴えて病院で診察を受けたら、医師が触診もせず、MRI検査を注文した。触診でその病態が凡そ分かってしまうが、点数が全くあるいは僅かにしか請求できないので、患者の自己負担でさえ2-3万円掛かる検査は日常の臨床の基本になると、保険制度の崩壊は目に見える。ハイテックの画像診断機器や高度の技術を要する検査方法を利用することだけでは、その医療体制が本当にに「発達した」とは言えるでしょうか。

歴史的の背景によって日本に於いて医者-患者の独特の関係を築いたが、その時代の終止に向かっている気配はある。

医者は基本的「職人」であるにも拘わらず、「医者様」と呼ばれる事決して珍しくない。そうすると医者が患者より「偉い」と言う感覚で診察が行われる。つまり、患者と医者は同レベルの人間ではなく、医者の地位は患者より上から上下関係になる。だがどの上下関係においても「下」の者は「上」の者に対してある程度遠慮する。つまり、外来における医者の質問「如何ですか」に対して患者が「おかげさま」と答えるシナリオは誰でも知っている。だがそれで医者に診察に必要な情報が十分提供されない。
医者は患者が診察の際同時に他の治療も受けているかどうかと聞かれる患者は多分全国的にも少ない。例え「はい」と答えたら、どんな先生はどう言う治療を施しているかを尋ねることは滅多にないに違いない。左記のヘッドラインにも拘わらず医者同士のコミュニケーションは本当に乏しい。これは先進カ国の高度発達した医療制度の本当の姿なのか。そして治療効果の判定は当然「自分」が施している治療のみによるものだと思われ危険が高い。
一人の患者に多数種の薬を処方されるのも一般的ですが、それぞれの薬品が認可されるために行われる臨床試験において大体一種の薬しか検討されない。薬物相互作用に関して2種、多くて3種までが調べられる。同時に8種や10種、場合によって異なる医療機関に重なるような薬を処方される方においてこの組み合わせはこの患者に於いて本当に安全かどうか誰も知らない!これこそ先進国が目指しているEBM (evidence based medicine) で示されている目標より遅れているかを証明している。

また、最近「自然」或いは「漢方」もブームとなっているように見受ける。当然、医療体制はこれを商売のチャンスとして見逃すことは出来ないので、多数の医療施設に「漢方処方」を宣伝し、厚生省はおよそ120種の漢方薬を保険診療のために認可した。製薬会社はそれらの薬の使用目標を手帳にまとめ、病名別や症状別に漢方薬を選択、使用できるようになった。だが漢方薬の使用にあたって漢方医 学独自の概念があって、それを無視すれば本来の漢方薬の良さは発揮できなくなる。6-7年程前に「少柴胡湯」と言う漢方薬が慢性肝炎を目標として使われた際、数人の患者が死亡した事件もあった。それ以来厚生省は漢方薬は危ないと危機を感じ、例の漢方処方の説明書にその危険を赤文字で示されるようになった。しかし、それは漢方薬が危ないではなくて、その使い方を完全に無視している医者が悪い。そこで又上記のヘッドライン(広告)はこの国がいかにも遅れていることを物語っている。東洋医学の1300年の伝統を無視してたった150年で医療現場を制覇し、オールマイティだの現代医学として「日本初」は随分お粗末の気がする。

この写真はある施設についての記事にあった。この施設は特に裕福ではない方の世話をしていたそうです。施設の職員も頑張っているに違いないが、私は外国人としてどうしてもその「安らかに」とお骨の上に置いてある娯楽ビデオと横にあるビジネス電話帳のコントラストに驚愕した。スペースはいくら限られているにしても、これが余りにも情けないです。多分第三世界では死者に対してもう少し品のある態度を取るではないでしょうか。
この写真はある施設についての記事にあった。この施設は特に裕福ではない方の世話をしていたそうです。施設の職員も頑張っているに違いないが、私は外国人としてどうしてもその「安らかに」とお骨の上に置いてある娯楽ビデオと横にあるビジネス電話帳のコントラストに驚愕した。スペースはいくら限られているにしても、これが余りにも情けないです。多分第三世界では死者に対してもう少し品のある態度を取るではないでしょうか。
お骨の上に娯楽ビデオ、その横にビジネス電話帳
現代医学という表現は略イコール「西洋医学」と使われ,この領域に於いて目覚しい進歩が続き、20年前に夢にも想像できなかった技術で今まで不可能と思われたものを可能にするつつある。しかし、同時に進む「専門化」によって視野が極めて狭い「専門馬鹿」も増えている。受診すると臓器や病症ごとに取り扱われ、その医療体制は機械化して来た。「部品交換」や「修理」される患者には骨の髄まで凍りそうな冷たいものだ。
一方、世界中のどの文明で、どの時代にもあった包括的な医療体制は局所のみではなくて、人間を見る温かいものだ。緊急事態や診断技術などの分野には現代医学の代わりにはなれないが、これらの伝統的な手段は国の財源不足の解消に貢献できる上に国民の知的財産でもある。健康管理は完全に専門家に任せるべきではない。医療従事者の第一の使命は患者を病気から守って、そして病気に掛かった場合出来る限り早くまた自立させることだ。残念ながらこの「理想」は今の時代に「利益」の信念に負けているようです。
日本において東洋医学1300年の歴史あるので、本来この分野で世界のリーダーでもあるべきだが、情報発信地として全くと言えるほど機能していない。上記のWHOが発行の本は日本語に翻訳されているが、WHOの正式のホームページに日本語翻が記載されていない。他の言語はある。中国は世界的レベルで東洋医学思想を支配されているようだ。日本独自の業績でさえ海外では当然のように中国の発想だと思われることが多い。そして、伝統医学と保険の問題や科学的な研究等などに関しても日本はアメリカを見て、真似てしまうことが目立っている。
それでも日本は先進国といえるでしょうか。
(類似の文書は神奈川新聞に掲載された。)
職人の技を生かして
年々に高くなる医療費は読売新聞の少し前の記事により過去最高の29兆8000億円に達したそうです。多くの人は「仕方がないでしょう」と思っているらしいが、「医療消費者」として「買い求めるサービス」である、満足すべからず医療の品質と値段に関して個人的な意見を述べさせていただきたいと思います。
上記の予算が膨大のものに膨れ上がっている事に関して医師、医療業者や保険会社などが余り興味ないかもしれませんが、その額を払わざるを得ない一般国民一人一人は上昇し続けている医療費が気になる筈です。私は、これは運命でもないし、不可逆の「時代の流れ」でもないと思います。この運命を変えられるのは「職人の技」だと信じています。
大半の医療行為は「診察」と称されております。この中に含まれている「診」と言う文字は、「医者が、患者と話しをして、すみずみまで細かに病状を診る事である。」、又は「見立ての結果を教える」等の意味があります(漢和字典)。何かが詳しくを調べるためそれなりの時間と手間が必要です。しかし、現在医療現場で常識のように行われている「2分診察」果たして上記の意味で患者を診る事になるでしょう。これほど短時間で良質の診察を施す事がよく言えば大変難しいでしょう。従って、このような「2分診察」は必然的品質の悪い品/サービスです。
例を上げましょう。以前往診の際患者が「腰痛や坐骨神経痛」を訴えました。しかし、診察で即に腹部にある最低拳大の腫瘍に気付きました。患者に現在の「神経痛」の原因は腰ではなく、腹部にあり、悪性の可能性もある腫瘍だと告げ、検査を薦めました。検査結果は後程思った通りの「癌」を判明しました。
この患者は、私の往診の一ヶ月前に心臓発作(狭心症)で入院し、腰下肢痛で整形外科でも診てもらったそうです。ここは疑問です。少なくとも二人の医者に診て貰ったにも拘らず、素人が触っても分かる程大きい腹部腫瘍がどうして見落とす事が出来たでしょうか。答えは残念ながら簡単です。心臓発作は胸の病気と腰痛は腰の病気、いずれの場合西洋医学の職人がお腹を診る必要がないと思われたらしい。それでもこの患者の入院治療などに高額の医療費が請求されたはずです。
類似の例は沢山あげられます。目で見れば、或いは触診や聴診すれば分かる病態に於いて、先ず高額の検査が注文されます。視診、触診、聴診などは(少なくとも私治療院)無料(又は極めて低い料金)で出来るのに検査を注文する行為は明らかに「金儲け作戦」に違いありません。現在の保健医療の大部分が検査に使われると考えると上記の行為/態度は膨大のお金の無駄遣いされることを意味します。年々に高くなり、新たのもの(例えば「介護保険」)が追加される高額の保険料を払わざるを得ない国民にとって決して納得すべき事情ではと私は信じています。その費用が患者を真面目に(職人らしく時間を掛けて)診察する事だけで大幅に削減できる事が一目瞭然となるような気がします。患者の話に耳を傾き、旧式の「診察」を行われていれば、現在検査に使われる金額の無視できないほどの部分が不要になるはずです。
外国の諸調査によって通常の治療に例えば鍼治療を加える事によって、病態が改善するまでの時間が大幅に短縮され、同時に治療費も節約される事が判明しました。保険会社が一人の患者当たりに支払われる保険金が大幅に減りますので、現在問題とされる「財政不足」が改善される可能性が高い事が小学生でも検討できそうです。
私も現在既に高い健康保険料を払っているのに、最近更に介護保険料が加算された事が気に入りません。そして現状を改革しなければ、数年後恐らく雪崩のように大きくなる医療費をカバーするため次の「特殊保険料」が考案されるに違いありませんので、一般庶民の負担を更に増すでしょう。 よって、私は鍼灸などの代替医学的、伝統医学的な(医療職人的)アップローチが現代医学の変わりとしてではなく、効率のよいとコストが比較的掛からない国を救う鍵の一つを握っている事を確信しています。
ご存じでしたか…
美容も鍼灸治療の一つの応用です。
当然のことですが、体が健康でなければ美しくにもなれません。
そこで最近良く耳にする「半健康状態」のこと少々触れたいと思います。

先ず、頭に浮かんでくることは肌のことでしょう。肌は特に女性にとって綺麗であった方がよろしい。しかし、肌は体のただの皮ではありません。漢方医学においてこの肌は二つのもので出来ている:一つは皮膚です。皮膚は目で見える、最も外側にある部分で肺と大腸の働きを反映します。もう一つはいわゆる「肌」です。この部分は目に見えない、皮膚の表面の下にある、胃と脾臓の働きを反映します。
もし、肌に問題があれば、ただ外側から何かを塗り付けるだけでは多分十分の効果は期待が出来ません。やはり中から調子を整えて、改善しないといけません。
類似の問題は例えば乳房の形状です。調節に大金を使っている方もいらっしゃるでしょうが、これもやはり内部から改善しないと長期に満足すべき効果が見られませんでしょう。乳房は東洋医学において上記の肌と同じ胃と脾臓の働きを反映します。その他に、姿勢は大きな影響があります。
上記のいずれの臓器の働きは幾分自分で指圧等の方法によって(可能であればお灸で)調節することが出来きます。勿論、このような調節は本格的な鍼灸治療で尚良いでしょう。
ご相談は無料で承ります。
近代、鍼灸が肩こりや腰痛をやわらげるための治療法として認識されているようですが、鍼灸および漢方と言う民間療法は「蘭方医学」が導入される前に唯一の治療法でした。従って、鍼灸治療もほぼ全ての病気に使われました。優れている内科や外科治療、あるいは抗生物質や他の薬がある現在に鍼灸治療に潜在する力が忘れてしまいました。
しかし、残念ながら今も現代医学(西洋医学)は全ての問題を解決することが出来ない。輝かしい科学の進歩にもかかわらずいわゆる「難病」と「不治の病」が以前と同様に存続する。
これらの病気のためもう既にあらゆる治療法を試されたが、未だ希望を持たせるものは乏しい。この時最後の助けを求めながら鍼灸治療を試してみたい方がときどき居ます。
果たして、鍼灸治療がこれらの「難病」と「不治の病」を治せることは疑問ですが、試して見る価値は十分ある。
研究というものは小さな治療院では普通不可能と考えて間違ない。しかし、私個人的に鍼の力はどこまで伸ばせることをどうしても知りたいし、同時に世間にも見せたいです。私の考えでは不治の病を治せることが出来なくても、患者の苦痛を和らげ、症状を改善させることが十分可能でしょう。
Diese Frage bin ich zwar noch nicht wirklich “häufig” gestellt worden, aber dennoch ausreichend oft, um hier nun kurz darauf einzugehen. Die Frage kommt von den verschiedensten Menschen mit den unterschiedlichsten ausbildungsmäßigen Hintergründen aus der ganzen Welt. Leider kann ich keine sehr ermutigende Antwort auf diese Frage anbieten. Intellektuell scheint Japan immer noch in der “Zeit der Abschließungspolitik” zu verharren. Das heißt, während in China spezielle Programme, Klassen oder Krankenhausplätze angeboten werden, wo Ausländern die Gelegenheit geboten wird, chinesische Akupunktur zu lernen, gibt es in Japan keinerlei diesen entsprechende Vorhaben / Einrichtungen. Auch privat sind viele Akupunkteure (Therapeuten) aus vielen Gründen recht zurückhaltend, wenn es darum geht, Ausländern die Gelegenheit zu bieten, deren Behandlungen zu beobachten. Diese Gründe schließen zum Beispiel ihre Befürchtungen ein, dass eine Kommunikation mit den Ausländern nicht möglich ist, das Argument, dass die Patienten sich sehr unwohl fühlen würden, wenn Sie von Ausländern (diese heißen in Japan immer noch offiziell “Alien”!) beobachtet werden, oder die Möglichkeit, dass die Beobachter etwas machen würden, wodurch die Therapeuten entweder “bloßgestellt” oder aber negativ beeinflusst werden könnten, wie zum Beispiel indem sie die Therapeuten auffordern bestimmte Produkte zu verkaufen oder bestimmte Dienstleistungen anzubieten. Dies ist bereits vorgekommen (und hat die Ausländer entsprechend in Verruf gebracht)!
Das heißt, im Moment ist das Beste was ich machen kann, privat Therapeuten zu fragen, ob Sie eventuell willens wären, Ausländern die Möglichkeit zu bieten, deren Behandlungen zu beobachten. Andererseits ist mir aber auch schon nahegelegt worden, dass “ich mich lieber nicht um die (störenden) Ausländer kümmern” sollte, weil sich dies nachteilig auf meinen persönlichen Ruf im Land auswirken könnte.
Auf meinen persönlichen Erfahrungen als “Alien” hier in Japan beruhend neige ich persönlich jedoch eher dazu allen Ausländern, die ein ernsthaftes Interesse zeigen, in Japan etwas zu lernen, so viel zu helfen, wie es mir möglich ist. Und obwohl diese Möglichkeiten, wie oben ausgeführt, leider begrenzt sind, zögern Sie bitte nicht, mich zu fragen.
Thomas Blasejewicz
Diesbezüglich bin ich in der Vergangenheit schon mehrfach angesprochen worden und fühle mich irgendwie verpflichtet, diesen Anwärtern zu helfen. Auch wenn die entsprechenden Aussichten derzeit immer noch alles andere als “rosig” sind – wie in dem folgenden Artikel, den ich vor einer Weile geschrieben habe und derzeit zunächst unverändert stehen lasse – scheinen meine diesbezüglichen Bemühungen und öffentliche Bekanntmachungen doch eine gewisse Wirkung gezeigt zu haben. Das heißt eine Reihe von Menschen hier haben mir Ihre Bereitwilligkeit zugesichert, mich bei Bedarf
Auch wenn ich derzeit noch keinerlei Versprechungen machen kann, möchte ich Interessierte jedoch einladen, sich bei mir zu erkundigen. Ich werde das betreffende Anliegen dann weitergeben, und mit ein bischen Glück ist es dann vielleicht möglich, etwas in die Wege zu leiten …..
Es sollte nur eine Weltreise werden …
Geboren und aufgewachsen bin ich am Wasser – in Kiel. Dies ist wahrscheinlich der Grund dafür, warum ich Heute immer noch am Wasser lebe, nur nicht mehr in Deutschland, sondern in einem kleinen “Hayama” genannten Ort in Japan. Etwa 1 Stunde Fahrt mit dem Zug von Tokio entfernt an der Pazifikküste. Was hat mich ausgerechnet dorthin verschlagen? Nun, dass ist gleichzeitig eine lange wie auch eine kurze Geschichte.
Wie es im Kindesalt er so ist, der jüngere Bruder (ich) macht dem älteren Bruder gern etwas nach. So ist es gekommen, dass ich kurz nachdem mein Bruder mit Judo angefangen hatte , diese Sportart auch unbedingt machen wollte. Zwei Jahre später passierte das gleiche mit Aikido. Nur stellte sich nach verhältnismäßig kurzer Zeit heraus, dass Aikido mir “vom Wesen her” wesentlich b esse r liegt als Judo. Kurz darauf habe ich Judo auf gegeben und mich ganz dem Aikido gewidmet und hier, wenn ich das selbst einmal so sagen darf, recht gute Fortschritte gemacht. Zwischenzeitlich hatte ich auch eine kurze Begegnung mit Kendo. Aber auch hier wieder lag mir dies vom Wesen her nicht. Bei Karate hatte ich diesen Eindruck schon vom bloßen Zusehen.
Wieder einige Jahre später, inzwischen hatte ich die Position eines Aikido “Trainers” inne, hat mir ein Schüler Tai Chi erst vorgeführt und später auch etwas vermittelt. Die Bewegungen des Tai Chi haben mir sofort zugesagt. Dieses Gefühl, dass mir manche Dinge, hier im Speziellen manche Sportarten, liegen und andere wiederum kein erlei Anreiz haben, hat schließlich zu einem schicksalhaften Ereignis und dieses wiederum hat mich später nach Japan geführt.
Mit 17 habe ich im Fernsehen einen Dokumentarbericht über Kampfkünste gesehen. Da war dann so ziemlich alles vertreten, was man so kennt: Judo, Karate, Aikido, Kendo , Tae Kwon Do, Kung Fu … und schließlich auch japanisches Bogenschießen = Kyudo. Dabei wird mit sehr langen, aus Bambus gefertigten Bögen auf ein etwa 30 m entferntes Ziel geschossen. Normalerweise stehen die Schützen dabei in einem “Dojo” (einer Übungshalle) auf einem Parkettfußboden und schießen über einen unter freiem Himmel liegenden Rasen auf das Ziel.
In der besagten Fernsehsendung jedoch stand der Bogenmeister auf einem Rasen und wurde von vorn gefilmt. Der Film zeigte den Meister, wie er da stand, den Bogen auszog und schließlich den Pfeil fliegen ließ – nicht jedoch das Ziel. Ob der geschossene Pfeil also getroffen hat oder nicht, wurde nicht gezeigt. Die gesamt Szene hat vielleicht nur zwei Minuten in Anspruch genommen.

Das war aber auch egal. Die Sendung hatte bereits ihre Wirkung getan!
Diese 2 Minuten Fernsehen haben in meinem Kopf eine Art Funken gezündet. Wie vom “Schlag getroffen” hatte ich den Eindruck, DAS ist etwas, was ich machen will/muß.
Daraufhin habe ich mich bemüht herauszufinden, ob es irgendwo in der Nähe Dojo s gibt, in denen ich Kyudo lernen könnte und damals zwei solche Dojos gefunden. Eines in Hamburg und eines in Paris. Beide wurden aber von Europäern geleitet. Da ich aber noch jung und idea listisch war, wollte ich natürlich von einem “richtigen” Meister lernen und nicht einem europäischen Schüler. Unweigerliche Schlussfolgerung: ich muß nach Japan!
Fünf Jahre später, nach Abitur, Zivildienst und einer gewissen Zeit Aushilfsarbeit um Geld zu verdienen, habe ich dann die meisten meiner damaligen Besitztümer verkauft/verschenkt, einen Rucksack gepackt, mir Reisechecks von den etwa 10.000 DM, die das Ergebnis von fünf Jahre Sparen, Verkauf meiner Sachen und der Arbeit im Bauwarenlager waren, ausstellen lassen und mich – natürlich gegen den Willen meiner Eltern – mit einem Einfachfahrschein für die Transsibirische Eisenbahn auf den Weg gemacht. Eine Reise, die angefangen vom Trampen nach Berlin, Zug nach Moskau, transsibirische Eisenbahn nach Wladivostok und von dort mit dem Schiff nach Yokohama insgesamt 2 Wochen gedauert hat. Zweifel an mein em Entschluss nach Japan zu fahren und der Durchführbarkeit mein er Pläne hatte ich während der 5 Jahre von der Fernsehsendung (mit 17) bis zu meiner tatsächlichen Abreise (mit 22) nie!
Ursprünglich hatte ich geplant, erst nach Japan zu fahren, um dort für ein halbes Jahr Bogenschießen zu ma chen. Anschließend wollte ich ein wenig durch (Südost) Asien reisen, mir dann ein Segelboot kaufen und über Australien nach San Franscisco segeln, um mich etwa 1 Jahr nach meiner Abreise mit einem Bekannten aus Deutschland treffen und von dort wieder nach Hause fahren. Soweit die Theorie.

Einmal in Japan an gekommen, stellte ich fest, dass es gar nicht so einfach ist, ein Dojo zu finden. Und schon gar nicht eines, welches meinem aus Büchern und Wunschvorstellungen abgeleiteten Ideal entspräche. Durch Vorstellung bin ich dann auf zwei andere Deutsche gestoßen, die für mich gedolmetscht haben, als ich einen buddhistischen Priester namens “Koun Suhara” aufsuchte, um ihn um seinen Rat zu fragen.
Die Antwort war natürlich eindeutig: Wenn du kein Japanisch kannst, wird wohl kaum ein Lehrer willens/fähig sein, dir etwas beizubringen. Und von den grauhaarigen Meistern kannst du nicht erwarten, dass sie deinetwegen Englisch oder Deutsch lernen. Verbringe also erst einmal 1-2 Jahre damit Japanisch zu lernen und komm dann wieder.
Von Priester Suhara fasziniert und angeregt habe ich mich daraufhin entschlossen, mein Touristenvisum in ein Studentenvisum umzuändern und zu bleiben – Dauer unbekannt.
Auch wenn die Änderung meines Visums einige Schwierigkeiten bereitet hat, habe ich die folgenden 2 Jahre wirklich genossen. Mehrfach wöchentlich Kyudo Übungen (allerdings nicht in dem oben genannten Temple), Teezeremonie Übungen, tägliche Tai Chi Übungen auf einer die Sagami Bucht überblickenden Bergspitze …

Während dieser Zeit habe ich natürlich auch ei nige Japaner kennen gelernt. Darunter einige gute Freunde, mit denen ich Heute noch Kontakt habe – und natürlich meine Frau. Die Beziehungen zu Japanern haben sicher viel zu meinen Japanischstudien beigetragen – mit Hindernissen !
Zu Problemen kommt es nämlich, wenn man als Ausländer hierzulande annimmt, dass die Japaner “richtiges” Japanisch = Hochjapanisch sprechen. Von den männlichen Bekannten habe ich mir unwissentlich ein nicht so sehr wünschenswertes, umgangssprachliches Vokabular angeeignet, dass man wenn überhaupt erst dann gebrauchen sollte, wenn man wirklich mit der Sprache vertraut ist. Von meiner Frau und anderen weiblichen Sprachschülern habe ich auch viel gelernt. Nur wusste ich damals noch nicht, dass es hierzulande eine “Frauensprache” und eine “Männersprache” gibt. Und wenn man als Mann Frauensprache verwendet, fällt man sehr unangenehm auf.
Da ich Deutschland nach Abitur und Zivildienst verlassen habe, ohne eine Universität besucht oder einen Beruf erlernt zu haben, musste ich mir auch irgendwann einmal Gedanken machen, wie ich in der Zukunft meinen Lebensunterhalt verdienen möchte. Hier kam mein Interesse an der orientalischen Philosophie und Kultur zum Tragen als ich mir sagte, eine Ausbildung in Akupressur würde mir erlauben, private und berufliche Interessen miteinander zu verbinden. Der Umstand, dass es auf der ganzen Welt immer und überall kranke Menschen gibt, würde mir einer gesicherte Existenzgrundlage bieten – so dachte ich mir.

Nun, ich war jung und unerfahren. Inzwischen weiss ich, dass dies SO einfach nicht ist. Wie dem aber auch sein mag, im Sinne einer Ausweitung meiner zukünftigen beruflichen Möglichkeiten habe ich meine ursprünglichen Pläne geändert und bin an eine Schule gegangen, wo man außer Akupressur (Shiatsu) auch Akupunktur, Moxibustion und orientalische Massage lernt. Die 3-jährige Ausbildung wird mit dem Staatsexamen beendet, welches dem Inhaber erlaubt, eine eigene Praxis zu eröffnen.
Ich zog es jedoch vor, zunächst für eine Weile (vier Jahre) an einem großen Krankenhaus mit einer “Forschungsabteilung für orientalische Medizin” praktische Erfahrungen zu sammeln.
Dies brachte es mit sich, das ich jeden Morgen um sieben mit dem Zug nach Tokio gefahren und erst abends zwischen 9 und 10 wieder nach Hause gekommen bin. Sechs Tage in der Woche. Damit fielen dann all die netten Praktiken wie Bogenschießen, Teezeremonie und dergleichen aus.
Dafür hatte ich im Krankenhaus aber reichlich Gelegenheit, Dinge zu lernen, die ich anderswo wohl nicht gelernt hätte. Als deutscher Akupunkteur in einem japanischen Krankenhaus, nicht nur einmal auf Besuch, sondern angestellt: damit war ich eine exotische Erscheinung. Ein Umstand, der oft aber auch sehr zu meinem Vorteil beigetragen hat.

Nach dem Krankenhaus habe ich eine Weile nur Übersetzungen gemacht und schließlich 1995 meine eigene SEHR kleine Praxis auf gemacht. Und das ist, was ich auch Heute noch mache: Akupunktur, was ich (anmaßender Weise) als meinen wirklichen Beruf = von Berufung betrachte, und Übersetzungen, mit denen ich den Lebensunterhalt für meine 6-köpfige Familie verdiene. Auch Heute falle ich in der japanischen Akupunkturgemeinde noch auf: ein deutscher Akupunkteur, der eine eigene Praxis leitet. Meines Wissens nach gibt es nur SEHR wenige Akupunkturpraxen in Japan, die von WESTLICHEN Ausländern geleitet werden. Wenn ein Chinese, ist in Japan ebenfalls Ausländer, hierzulande Akupunktur macht, fällt er/sie damit eigentlich nicht besonders auf.
So ist es gekommen, dass aus einer für 1 Jahr geplanten Weltreise ein permanenter Aufenthalt in Japan geworden ist. Hier habe ich eine japanische Frau, mit der ich schon unsere silberne Hochzeit gefeiert habe, und vier inzwischen recht große Kinder. Gerade auch im Hinblick auf meinen Beruf als Akupunkteur versuche ich seit einiger Zeit, wenn entsprechende Anfragen kommen, Ausländern bei deren Suche nach Möglichkeiten, orientalische Medizin in Japan zu lernen, behilflich zu sein. Auf Grund der hier nur gestreiften Schwierigkeiten, die ich selbst anfangs hier hatte, fühle ich mich manchmal zu diesen Bemühungen verpflichtet, auch wenn dies bei meinen japanischen Kollegen durchaus nicht immer auf Wohlwollen stößt.

Das Bild rechts zeigt meine Familie zu Neujahr 2016 versammelt.
Mit freundlichen Grüßen aus dem Land der aufgehenden Sonne.

Thomas Blasejewicz
** Dieser Artikel ist auch auf einer HP in Deutschland, die sich mit japanischer Kultur beschäftigt, veröffentlicht worden:
http://www.japan-access.de/japanische-kultur/artikel/akupunktur-in-japan.htm
und soll demnächst auch in einem kleinen Fachblatt für Karate (den Artikel habe ich irgendwo eingescannt, kann ihn jetzt aber nicht finden) veröffentlicht werden.
Irgendwie – ich selbst kann dass nicht so recht nachvollziehen – finden mache Leute meine Geschichte “aufregend”.

Nach orientalischer Ansicht haben alle Dinge dieser Welt ein bestimmtes Niveau einer Energie, die (übertragen aus dem chinesischen im englischen Sprachgebrauch gewöhnlich) “Qi” genannt wird. Ohne Energie kein Dasein – eine Vorstellung die ausgezeichnet zu den Konzepten der Quantenphysik passt. Diese Energie liegt in belebten und unbelebten Dingen natürlich unterschiedlicher Form und Intensität vor. Darunter gibt es ferner auch das “Qi der Krankheit” und das “Qi der Gesundheit” – der Umgang mit diesen Energieformen bildet eine der Grundlagen der orientalischen Medizin.
Für meine Arbeit als Akupunkteur ist es nun im Prinzip erforderlich, dass ich einerseits das “Qi der Krankheit” von den Patienten aufnehme und ableite und andererseits ihnen mein (sofern vorhanden) “Qi der Gesundheit” zufließen lasse.
Dies funktioniert NUR, wenn die Hände entspannt sind. Ich erkläre diesen Umstand meinen Patienten immer gern wie folgt: die Hände sind wie ein Telefon. Um die Stimme des Anderen zu hören, muss man den Hörer abnehmen und zuhören. Zum Antworten spricht man dann ins Mikrofon.
Wenn Patienten nun eine nicht unerhebliche Menge unerwünschtes “Qi der Krankheit” in sich einschließen, gleichzeitig aber auch durch einen Mangel an “Qi der Gesundheit”geprägt sind, kommt es zu phyischen oder seelischen Krankheiten. Ein solches Ungleichgewicht lässt sich hervorragend zum Beispiel am Meer ausgleichen. Am Meer die ** völlig entspannten Hände** (dies ist wichtig!) mit den Handflächen auf das Meer richten, und mit dem Ausatmen (sich / es) eher “gehen lassen” als “herausdrücken” – das Qi in Richtung Meer ausfließen lassen. Dann anders herum, wieder mit ** völlig entspannten Händen**, versuchen das Meer zu “fühlen”. Als Mutter alles Lebens hat das Meer eine **SEHR VIEL** Qi! Und wenn es außerdem noch windig ist und große Wellen gibt: dann wird da eine enorme Menge **kinetischer Energie** fühlenbar: eine 2-300 m lange, vielleicht 1-2 m hohe Welle stellt vermutlich mehrere tausend (zehntausend!) Tonnen Masse dar, die dort ganz elegant bewegt werden.
Es wäre einen Versuch wert, ohne spezielle Absichten die Hände über alle möglichen Dinge zu halten (NICHT direkt berühren!) und sich dann fragen ob dabei Unterschiede gespürt werden. Ein Stück Glas oder Stahl sollte sich jedoch völlig anders anfühlen als zum Beispiel eine lebende Pflanze. Empfehlung: üben mit den Händen (nicht mit dem Kopf) telefonischen Kontakt zur Welt aufzunehmen. Dies könnte zu völlig neuen und unerwarteten “Einsichten” führen. Im deutschen Sprachgebrauch heißt es vermutlich nicht ganz zufällig “be-greifen”, wenn man davon spricht, die Welt zu verstehen …
Throughout modern history a lot of things have been termed “common place” and been referred to uncountable times. Common place means that something is common, natural and understood by everybody. Yet, by definition that has to be restricted to specific people, cultures and times. Given this common place background, it might be worthwhile to think a little about the translator’s job. S/he has to transfer material, usually present in written form, from one language to another. Doing so in some specialized area with heavy use of technical terms can be a rather clear-cut endeavor, precisely because of the technical terms. Mostly they define in very succinct ways what there is to be said among specialists who know what they are talking about. Admittedly, this form of straight communication may at times be endangered the very nature of the “specialists”, who are so good at what they are doing / researching that their minds sometimes jump ahead of their writings, leaving the translator (and reader) wondering how to fill in the gaps. The real problems start, when you are talking about something considered very simple, namely common place concepts. So, if I as a German in Germany for example call to my family “let’s sit down to dinner”, it would be natural, or common place, to think of people sitting on chairs around a table. Yet, that may not be true for regions outside Europe and America. Here in Japan, if I use the same words to ask my family to sit down, that would mean sitting with legs tugged under on the floor. The same person uses the same words and they still mean different things. Please observe that “common place” refers to a place, where people share “common ground“. Elsewhere in the world people may sit down to dinner, but do neither really sit on the floor or chairs nor use a table. This is the time when the “common sense” and finesse of the translator kicks in. S/he has to decide where the source material originated from, where it is headed and what it is being used for. Often the translator does not have all this information. Also, if a person/translator has a working knowledge of the target language, but does not live or has been living in the region where the particular language is spoken, s/he may not be completely aware of all the aspects of sometimes verbally not expressed common places.