思想

東洋の思想全般、特に東洋医学に関する

メニューなし治療院

時代の流れでしょう。ほぼ全ての治療院/医院は何かの「メニュー」を使っています:治療時間はコース次第5分や10分単位で、それに伴う治療費もまた細かく区切られています。場合によって5円単位。
基本の治療に○○治療手段が追加すれば、あるいは治療時間が通常より何分延長するならばXXX円追加料金が加算されます。

それはきっと「普通」の営業方法に違いありません。

しかし、私は個人的どうしてもそれに賛同出来ません。

来院する者は「病」に「患って」いる「人」=患者です。
その人は部品の集まりではありません:左膝に症状あれば左膝のみに治療するのは修理工場のようです。筋骨の問題でなければ、更に別の工場に訪れる必要あります。それぞれの工場では取り扱う「部品」は「診ます」が、「人」=患者を見失われる危険性あります。

東洋医学は本来「人」を診るものです。
医術に関わる者は「病」に「患って」いる「人」を診るべきです。それは東洋医学だけではなく、西洋医学の父と言われる古代ギリシャのヒポクラテスも同じ事を言いました。伝統医療の職人として私はそれを信じて「メニューなし治療院」を営んでいるつもりです。
可能であれば、患者を「病」から解放に必要な治療手段を全部施し、治療時間の制限も特に設けていません。治療には必要な手段を全部使い、全身を診るため必要な時間をかけます。追加料金は過去30年間に請求したことありません。
この治療方針はこれからも変える意思ありません。

病気

「病は気から」と言う慣用語は誰でもしている。あらゆるの病は多かれ少なかれ「気」によるか「気」に影響を受けるのは東洋医学で考えている。
したがって、来院する患者はその「病の気 = 病気」を持って、出来る限り早くなくしたい。その気持ちは良く分かるつもりだ。では具体的には・・・
患者が自分の病の気を治療者に「取ってもらいたい」、言い換えれば治療者に送り込み、その代わり治療者から「元の気 = 元気」、つまり健康である能力を受けたい。
治療者はこの「病の気をなくして、元の気を取り戻す」過程において単なる仲介役(理想的に)ですが、やはり「気をつけない」と病の気の渦に巻き込まれる。つまり、治療者は病の気のゴミ箱のようなものだ。そして、どのゴミ箱は何時かいっぱいになる。治療者は病の気で満杯になってしまえば、治療も出来なくなるし、自分も病気に成る。
 自然界から新鮮な「気」を取り入れて「充電」しないといけない。私はそのため定期的海に行って、生命の母に手を翳していらない病の気を放出してから新鮮な気を頂戴し、海(空、大地など)に感謝する。

「気」と言うものは真に不思議なもので、その実態についてとても「簡単」には語れない。しかし、東洋医学を営む上に、どうしても一言は言わざるを得ない。
気 - その存在と運営、操作は東洋医学の真髄だとは過言ではないでしょう。気は人間の体の中(それぞれの臓器、経絡、血液など)と外(外気、天気、環境の変化、他の生物など)にも充満していると考えてもいいでしょう。そして常に変化し続けていて、決して「静止」はしない。
気の流れは患者-治療者の関係も、治療効果にも決定的な影響を与える。

最近何でも「科学的根拠」を見出していかない限りその存在を認めないと言う時代の流れだが、現時点では気の「科学的根拠」はまだ納得の出来る形で示されていない。そのため気に巡る議論は永遠続いている。


歴史的及び地球規模的(グローバル)を見てみると、全ての時代に、全ての文化圏には類似の概念がある。単なる偶然?
「科学的根拠」はまだ特定できないから「気が存在しない」結論に飛びつくのはいかにも「非科学的」だ。その正体を測定する装置がない、捉える概念が定義されていないだけかもしれない。つい最近(2013年の春)に全世界に揺るがす出来事があった:「ヒッグス粒子が発見された」。聞きなれていない言葉だろうし、一般庶民には全く関係ない事でしょうが、例のヒッグス粒子の存在は長年に「推定」された。その粒子が存在しないと現在の物理学(科学!)の基礎が完全に崩れてしまう=成り立たない。なのに今年までその粒子の存在を証明する証拠の影も形もなかった。

もしかして「気」の正体は zero-point energy (http://en.wikipedia.org/wiki/Zero-point_energy) にあるか・・・


今まで証明出来なかったから存在しなかった訳ではないだ!同じく:電気、磁場、微生物(感染症)などなどにも言える。黴菌の存在を証明出来なかったからいなかった訳ではない。感染症が世界中絶えず無数の人の命を奪う。それは幻しいではない。
気は恐らく同じものだろう。いつか技術の進歩で正体を突き止めて、測定する事ができるようになるだろう。その時まで少なくとも東洋医学においてこの不思議な力を操作するのは我々「鍼灸職人」だ。

元気

元気は文字通り「元の気」。この関連で生命の源。
単なる挨拶→ 「元気ですか」ではない。
元気は東洋医学において大きく分けてしまえば「先天性の元気」と「後天性の元気」がある。
前者は生まれる前に親から頂く生命力と考えて良い。それは生きている間少しずつ使われて、全部使い切った段階で死亡する。この気の種類は後から付け足し出来ないものだ。
それに対して後者は生きている間常に補充しなければならない。「補充」と言うのは飲食や呼吸によって身になる材料及び燃料(食べ物)、その材料を運搬/運営出来る媒体(水)と生体を動かすエネルギー元(空気、「気」そのもの及び燃料を燃やすに使われる酸素)を指している。
後天性の元気は生命活動に不可欠なものですので、出来れば「いい品」を使うのは賢明でしょう。
そして「先天性の元気」と「後天性の元気」を自分の意志で操作する技術を少々身に付けると多いに役に立つに違いない!

責任

「自分の体」・・って良く使う表現だ。
トップページや私の部屋で既に触れた健康に関する「責任」は極めて邪悪で絶対近寄っては成らない概念と捉えられているように見受ける。
しかし・・・
自分の体は各自自分で作った訳でもないし、言って見れば親も「作って」いない。子供を作るとは言うが、人間の「技術」や「力」ではどうにも作れない。
それぞれの生体、人間、動物、植物、微生物・・・は奇跡な情報を遺伝子の形でほぼ永遠不滅の命の鎖に伝播するのみ。


自分の遺伝子は親か、
親の遺伝子はその親から、
何百万年の間に伝わり、
それ以前人類の祖先から、
それ以前から他の生物から・・・
地球上に遺伝子のある生物が誕生してから。
そしてその奇跡の情報= DNA は人間と魚の間そう大した変わらない!
もう少し謙虚にものをみましょう


遺伝子に含まれる情報は全ての生物を共通する、太古昔から全ての生物によって伝えられている宝だ!
個別の生体はその宝を載せた船だ。沈没したり、破損、腐食したりすることは許せない。自分=人間は自分のDNAを過去から未来へ運ぶ使命がある。その運搬能力(健康状態)をお粗末する「権利」はどこにもないと私は信じる。

そして、動物の異なる点は:人間は知能があるから、奇跡な遺伝子情報を伝播すること責任は人間に限らず!本来人間は全ての生物に対して責任を果たすべき。(聖書にも記載)。

それ程重大な責任は現在自分がどうしているかを一度考えてみてください。

時間

「時間」の概念は特に近代(今2-300年)の科学的思考とつい最近「デジタル時計」の発明によって大きくずれてしまった。何となく皆さんは時間は一直線上である地点から別の地点まで永遠続けて流れる(進む?)と考えているようだ。
しかし、難しい事を考えたり、したりしなくても、単に自分が住んでいる世界を眺めていれば、時間は直線ではなく、円を描いているのが一目瞭然だ。
つまり:
朝 - 昼 - 夜 - 朝 - 昼 - 夜 - 朝 - 昼 - 夜 ・・・・・
春 - 夏 - 秋 - 冬 - 春 - 夏 - 秋 - 冬 - 春 - 夏 - 秋 - 冬 ・・・・・
生まれる - 成長する - 衰退する - 死ぬ - 生まれる - 成長する - 衰退する - 死ぬ ・・・・・ など
それは化学分子(粒子の世界もそう!)、単細胞、生体(動植物、鳥、昆虫、人間)、生態系、惑星、太陽系、銀河系 ・・・・・ どこまでも続く: 

何でもいつまでも「サイクル」=円を描きながら進む。
ならば少なくとも東洋医学(西洋医学では良く “life cycle” と言う言葉を使うのに、時間が進むのではなく円を描くだけと言う概念が乏しいように見受ける)このにおいて治療も何分=何円(直線)ではなく、サイクルで進ましたい:治療開始 - 治療中 - 治療終了。そのサイクルの長さは値段表ではなく、患者の特徴で決まる筈のではないか・・・

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