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医療 - 問題の多いテーマ

先日、5月14日の読売新聞に東京都医師会が一面を使って「東京宣言」を公表しました。
75歳以上の患者にちゃんと治療しますとの約束をしました。この業界の危機を象徴的表し、強い違和感を私に与えました。

先書きましたが、私は小さな鍼灸院を開業しているドイツ人鍼灸師です。鍼灸師として毎日臨床現場で「医療」を携わります。多数の患者の悩みも聞きますし、 現代医学治療の問題に間接的、又場合によって直接的「見えます」。私は学者ではないので、諸問題の解決策は提供できませんが、現在多数の問題が重なる中で もしかして思考パターン(コンセプト)を少々変えるべき時期が来たと思います。これに関してこちらの見方は参考になれば嬉しい。

1.行政
2.医師
3.医療
4.その他

行政
 大分前になりますが何時か厚生省に訪れた事あります。残っている印象は:恐ろしく長く、天井の低い暗い廊下、そこから分岐する部屋。その部屋は外界と繋 がる窓もない、多数の机が無秩序で大量の(どちらかと言うと汚い)資料に覆われていました。そのような環境でお仕事をする方々は医療の現場が見えないで しょう。行政から何かの「新しい制度/決まり」が発表された、既に20数年前(私は病院で勤務していました)医療現場で働く人たち(医師、看護師など)は 悲鳴を上げました。
 時々そのような新しい制度の信憑性をあげるため、大学の教授、有識者、統計学や「科学的根拠」を頼る事もあります。しかしながら、そのような情報源はやはり現場を知らないので、「雲の上」の生活を送っているのは現場の人間全員思っているでしょう。
 行政的に多数の問題に関して何かの取り決めをしなければなりませんのは残念ながら事実です。ただし、現在問題が多すぎるため医療制度そのものが既に崩壊 し始めている中では、雲の上で夢を見ている方よりも、現場で毎日体をはって現在の医療制度を実際に支えている人々の声を聞くべきでしょう。

医師
 医師、または医者に関して歴史的の背景もあるから、私のような愚か者は論じるべきではないでしょうが、幾つか妙な点はあります。先ず、医者だけではな く、「医者様」と呼ぶ事を良く耳にします。難しい事を勉強し、人助けに力を注いでいる人に対する敬意を表すのも結構ですが、相手が余りにも偉いようでした ら患者との「普通」のコミュニケーション (communication = share something) が旨く取れなくなることあります。「お」医者「様」が患者に如何ですかと聞いても、多くの場合患者は本音で答えないで、お蔭様で・・・との態度をとりま す。しかし、仮に病院の後に私の治療院に訪れると愚痴をこぼし、医者に対する不満を表現し、又は医者に言われた事に関して私から「解説」を求めます。毎日 のようにこのようなことが起こりますので、医者は自分と患者の間かなりの溝があるのは気づきません - 気づくはずもありません。
 初心に戻って「医は病を治す工である」の精神を復活させ、国民の指導者でもあるべき医者はもう少々背を低くして謙虚になると大いに助かります。
 無論その反対も同様にいえます。医師に対する患者の態度にも大きな問題あります。深刻な問題は全くないのに取り合えず病院に行こうと言う態度は改めるべ きでしょう。先ず、本人は出来ることをやってみて、それでも問題が残れば、専門家を聞けばよい。「商品のトラブルシューティング」は皆そうです。私の患者 に「主人はもうなくなったし、犬もいないから、ここに来させてください」と言う人がいます。私の治療は国民健康保険を使わないから良いですが、どこか妙な 考え方。同じ患者は日頃高血圧のためにも受診するそうです:脳神経外科に!
 したがって、一方患者の行きたがる態度と一方医者が患者を定期的来させる思考(例えばちょっとした怪我の人を毎日「消毒」の為に病院に来させる)が重な り、最終的「医者依存症」を作り上げます。私のモット「患者を来させないことが私の仕事だ」は以前一度雑誌で公表されたとき患者も同業者もびっくりし、怒 られました。

医療
 さて、最近単に色々な問題が発生しているだけではなく「医療崩壊」と言う概念まで発展してしまいました。それ故に上記の「東京宣言」が発表されたでしょ う。医療費が高い、介護費も高い、高齢者の割合も持続的に上昇します。時期に医療制度そのものを支えきれなくなり、崩壊するだろう・・・
 それは第三世界貧困地域/社会と同様です。ご存知のようにWHOは1980年代に「HFA2000 = Health For All by the year 2000」(全世界の人々に2000年度まえ健康な生活を提供する)と言う計画が考案され、その実行の可能性を探るため色々な調査もされました。調査結果 は “Traditional Medicine and Health Care Coverage”, WHO 1983(世界伝統医学大全、1995)、R. Bannermann, ISBN: 4-582-51311-5に纏められ、出版されました。結論:現代医学(西洋医学)だけでは世界の人々に健康な生活を提供する事は出来ません!その結果 は既に25年前に明らかになりました。今日「医療後進国」(以前私が書いた文章:http://www.einklang.com/download/behind.htm) になった日本そのような25年も前の知識を目覚めなければなりません。
 更に、「医療」とは裕福階級の世界にしてしまうのは決して得策ではないでしょう。つまり、医学部に入りたいにしても、先ず金銭的にかなりの余裕がないと 医学の勉強は不可能になります。そして医師になったら先ず金銭的な心配は一切要りません。先日テレビで「医療崩壊」を話題にした番組中ある医者が以前病院 に勤めたが、その仕事は余りにも大変ですから退職した。その後「フリーター」と言われる形 で仕事しました。それによって収入は以前よ りも50%上昇した:年収=6000万円、以前は4000-4500万円。それはご立派です!
 年収=6000万円=月収が500万円! 私の治療院やっと年の売り上げが300万に達しました。翻訳の仕事分と合わせて年収が4-500万。しかし、親は子供を医学部に入れるためのお金があるだ けでは、卒業する医師はその素質があるとは限りません。日本は自分の医療制度に対して何らかの危機感があれば、先ず優秀の人材を作る教育課程を見直し、そ の教育費を税金(?)で賄いながら医者になる素質/人格のある人材を育てて、医師の仕事は職人の仕事だと再認識し、そして職場の労働条件(臨床-当直-臨 床=36時間勤務)をもっと人間らしくしたほうが良いでしょう。
 少々脱線かもしれませんが、ドイツ語では「仕事=職業」は “Beruf” と呼びます。この単語は「”Berufung” = 召命」から由来します。もし医療従事者になるのは上記の「召命→使命 =  “Berufung” =天職」だと信じるようでしたら、患者の為命を捧げて全力尽くすのは当たり前です。ただ、医療従事者も人間ですので、体力の限界は あります。無理の勤務体制の為に体を壊してしまえばこそ、患者の最大の迷惑になります。患者にそのような迷惑をかけないため、適切は休みを頂くのはどこに も悪くありません。同僚など(病院の人事部を含む!)もこの人は上記の意味で天職を従事すると分かれば、少々休んだりして批判は出ないはずです。

その他
 要するに、医療、又は医師-患者関係、利用する医療手段(現代医学、伝統医学)などの概念は考え直すべきでしょう。多分医療の効率はどのようにあげられ るかを考えるのなら投薬の削減、病院のベッド数の削減、保険制度の小細工などではなく、人の治療に於いてもう少し “holistic” なアプローチをすべきでしょう。一人一人の患者をもっと丁寧に、もっと時間を掛けて診れば、最終的その患者はそんなに頻繁に来なくて済むのではないでしょ うか。

 私は残念ながら「有識者」ではありません。私は単なる三流の職人に過ぎませんが、職人が学者が見えないもの必ずあります。私の声は恐らく何方にも届かな いでしょうが、ここ自己満足のため簡単に纏めたのは「拙者」の意見です。更に具体的なことは沢山言いたいが、時間と場所がないため、又別の機械に委ねた い。

医道四弘誓願:
疾病無辺誓願療
病因無尽誓願断
病理無量誓願学
医道無上誓願成

原文:

  • 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) – 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願
  • 煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん) – 煩悩は無量だが、すべて断つという誓願
  • 法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち) – 法門は無尽だが、すべて知るという誓願
  • 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) – 仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願)