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Relaxation

これは大変頻繁に使われる言葉だ。映画で「リラクスしろ」も良く出るし、最近の「ヒーリング」ブーム関連で「リラクゼーション」が酷使される語句だ。

それはどう言うことか少々考えたい。

語源 ラテン語 relaxare より. (re-再び+laxare ゆるめる、例えば英語では 「laxative」 は下剤の事を指している). 要するに意味は …をゆるめる, 和らげる(他有り)。

つまり、本来は「lax=ゆるい」であったものは何かの加減で「緊張」してしまった。「re-再び+laxare ゆるめ」ない限り肩凝り、頭痛、不安感、目の疲れ等など多彩な症状がでる。

図1    人形をもって体の神経支配を立体的に表現する人形(humunculus)

人体の外側にある筋肉、つまり骨格筋は例外なく「随意筋肉」と呼ばれ、理論的頭の命令通りに働くはずだ。ならば「リラクスしろうよ」と頭で命令すれば体の緊張が緩むはず。肩凝りなんて問題どこにもない!

しかし、そう上手くはいかない。動物や人間の赤ちゃんは簡単にリラクスは出来るが、通常の人は一苦労せざるを得ない。動物の場合「活動・狩」などを行わない限りのんびりと構えている。人間の赤ちゃんは安心した状態にあると自分の体を完全他の人に任せてリラクスする事ができる。赤ちゃんを抱いたままで寝てしまうと突然ぐっと重くなることがある。その際全身の筋肉の緊張が一気に緩む。

詳細の説明は非常に長くなるから少々省くが、上記の「一苦労」の一つの原因は現代社会がもたらしている「頭でっかち」であり、要するに頭ばかりを使って、体を使ったり,感じたりしない(病気以外)事にあるでしょう。

肩凝り等で悩んでいる人がいるとすれば、本来自分の意志で肩の筋肉をリラックスさせればよい。理論的に可能なことだが、どう言う訳か出来ない。なら何が出来るのか。

 図2    脳の断面図で脳内の(運動)神経領域を表すイラスト

こちらも詳細のことを省かざるを得ないだが、人間の「神経支配」を少々考えてみると閃かれるかもしれない。知覚神経(ものを感じる神経)及び運動神経は両方とも均等的体中に「配線」されている訳ではない。顔、特に唇と舌や手の先では他のところに比べて非常に密集している(イラスト1と2はそれを表現している)。そう言うわけで赤ちゃんは先ず何でも口に入れて、そしてもう少し成長したら、何でも「手にとって把握(=理解=ドイツ語では“begreifen“)使用としている。唇や手から大変多くの情報が脳へ伝わる半面に、この部分の制御(運動機能)も極めて綿密だ。

肩を選択的に「リラックス」出来ないかもしれないが、細いに制御できる手指を意図的にリラクスする事は少々の練習で可能になる。そしてその感覚を覚えていけば力を抜く範囲を段段と広げて肩や他の部分まで波及させることは決して夢ではない。リラクゼーションも訓練が必要だ。

日頃ちょっとした時間あれば、一息をして、楽に座るようにしておいて、頭の中になるべく大きいものを描いて、そして自分の指に(拳骨という関節より先)に集中して貰いたい。指一本ずつ反対の手で持ち上げて、力を抜いて、指を重力に任せて下落させる。全ての指に繰り返す。目的は指を上げた後離したとき=解放したリラクゼーションだ。指は下ろすよりも指が「落ちる」感覚を覚えてもらいたい。患者を診て手が「緊張している」人は実に多い。このような患者の殆どは手が緊張しているだけではなく,全身に緊張しているひとがおい。たんなる肉体的緊張で止まらず、精神的の「緊張」とそれに伴う精神症状を呈することはどちらかと言うと「普通」。その緊張を指から自分の意志で抜く技術覚えておけば、少しずつ体の他の部分まで応用出来るようになると信じる。説明は極めて短いで短絡的ですので、私は言いたい事が通じるようでしたら嬉しい。(何時かもと詳しく書きたいが・・・)

図3    こんな光景を描いて心広く緩やかにする

足の事再認識する --- 裸足

腰も頸も痛くなり、動きが不自由になったり、全身の安定感が欠けている。そして肉体的の安定感のみならず精神的の安定感もいま一足りない。主に体だが、心も「ふらふら」する。場合によって患者が「めまい」=ふら付きを訴える。

案外可能性のある原因として視野に入らないのは「足」です。

文明社会は系統的に「足を馬鹿にしてしまう」と私は思う。要するに、所謂文明のある場所 = 町では殆どの領域が人工的に平らにされた:歩道、車道、広場など、建物中、乗り物の中・・・どこでも。おまけに文明人は朝から晩まで文明の象徴の一つとなるファッションに属する「靴」と言う道具を足につけるため、足底の環境は常に一定して、刺激を殆ど受けない。ファッション性の高い靴をはいって、異常な姿勢(ハイヒールなど)から生まれる異常な刺激を除けば。

ただし、人間の場合二本の脚の足底は体重を受けて上手に地面に分配する仕事と同時地面の特徴や重心の動きなどを迅速かつ正確脳に伝えるために出来ている。そのような刺激を排除するとこの刺激を処理するためにプログラムされている脳が飢えてしまう。看護に携わる人なら誰に聞いても分かるような事実は、今まで元気なお年寄りが何かの理由で暫く寝たきりになると、2-3週間さえあればまるで別人になってしまう - つまり「ぼける」。

よって、自分のあしをもう少し信じて、体を預ける事をしましょう。出来れば裸足で歩き回ると尚よいでしょう。少なくとも自宅の内に!

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足の事再認識する --- 裸足 (2)

先日足と文明社会の話題を挙げた。今回は普段余り聞かない足に関する解剖、神経学などの難しい話題にしておく。

まず、人気テレビ番組の好きな表現:「更に驚く事実を発見!」

「足」 - 余り深く考えない人が多いでしょうが、この傍役は実に複雑で高感度の「器官」だ:

足は26個の骨、33個の関節、107本の腱および19本の筋肉を含んでいる。

体の25%の骨は足に含まれている。そのバランスは全身に影響を与える。

足に125000個の汗腺ある、大半は足底にあり、毎日足から0.25lの汗がでている。

更に、脳の中で体の各場所は均等的に支配されていない。視用頻度の高いや、常用度の高い場所のため脳の神経を大量つかう。脳は体のどの部分でどれぐらいの割合で「力を入れて」いるのは次の図が示す。手足は体全体より多くの神経を使ってしまう。

しかし、文明人は自分の足はいつ何をしているかが全くと言って言いぐらいしらないようだ。

宿題:日曜生活の中で体重を踵より**少し**前のほうに移動して活動してみてください。体重の「重心」は足背の一番高い所に来るべき:土踏まず。カメラの三脚と同様:重心は脚の上ではなく、三脚の間に出来る空間に置かれると安定性が最もいい。

少し考えてみてください。