Category: 東洋医学

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“True” or “authentic” acupuncture

Well, this is a very much discussed topic. Although there is a serious lack in research into the scientific basis of acupuncture, an not insignificant number of studies have been performed, trying to verify the efficacy of acupuncture. For that purpose one thing that always pops up is the distinction between “true” and “sham” acupuncture. Like the distinction between the real drug and a placebo in clinical trials. Apart from the fact, that the design of pharmaceutical clinical trials cannot really be applied to research into acupuncture, the concepts of “true” and “sham” acupuncture present a problem, I believe.
Naturally, performing “sham” acupuncture, not considering the ethical implications of “knowingly deceiving” the patient, is always difficult to realize technically. But the real problem is not the “sham” acupuncture – it is the “true” acupuncture.
The Chinese try to make everybody on earth believe, that their way is the only “authentic” = “true” form of acupuncture. Yet, it uses needles almost as think as sharp-pencil mines, that are inserted “free hand”. This requires some REAL (!) skill to do it in such a way, that it is NOT painful.
I have tried a lot of different brands of needles, but by now come to the conclusion, that “Made in China” represents a very low manufacturing quality. Needling with needles “Made in China” is almost inevitably painful. I tried that myself. And on top of that, the assertion is, that unless you do not elicit the so-called “de-qi” feeling, which is according to definitions by most physiologists a kind of pain, the acupuncture will not be effective.
MOST of my patients, including myself, do NOT like the pain called “de-qi”, or “tokki”, as it is called in Japan. Thus, one type of pain coupled with another type of pain (from the technically poor needles) causes the patient CONSIDERABLE dyscomfort! In fact, and I have been told so by people who underwent such treatment in Germany or the USA, the dyscomfort is so intense, that even though the patients received money from the government, in order to participate in a study designed to show the efficacy of acpuncture, they rather choose to drop out of that study. It was just too painful. And the treatment had been delivered by professionals with something like +20 years clinical experience!
If the treatment is something like a medieval torture, so that patients break into cold sweat even before the third or fourth treatment session and therefore leave the study, the obtained results can hardly verify the value of acupuncture treatment.
Using Japanese needles, technically superior, which are much thinner and inserted with the help of a tube, so that there is usually no pain or dyscomfort whatsoever, “Japanese style” acupuncture treatments still relieves many of the patient’s symptoms – without pain or dyscomfort. Usually my patients leave with much improved symtoms and a feeling of satisfaction.

I think, the world should know about this! And put the true acupuncture into perspective.

癌と鍼灸

癌と鍼灸

以前学会で発表した事をまとめている。

鍼灸師はどの程度癌の発見に貢献する可能性について学会で発表しました。

その内容の要約はここに記載、

当日使われたスライドはPowerPoint fileをこちら

(上記のリンクに右クリックすればダウンロード画面が表示され、保存先のフォールダーの指定によりこのPowerPoint fileがダウンロードできます。)

鍼灸 - 美容

ご存じでしたか…
美容も鍼灸治療の一つの応用です。
当然のことですが、体が健康でなければ美しくにもなれません。
そこで最近良く耳にする「半健康状態」のこと少々触れたいと思います。


 先ず、頭に浮かんでくることは肌のことでしょう。肌は特に女性にとって綺麗であった方がよろしい。しかし、肌は体のただの皮ではありません。漢方医学においてこの肌は二つのもので出来ている:一つは皮膚です。皮膚は目で見える、最も外側にある部分で肺と大腸の働きを反映します。もう一つはいわゆる「肌」です。この部分は目に見えない、皮膚の表面の下にある、胃と脾臓の働きを反映します。
 もし、肌に問題があれば、ただ外側から何かを塗り付けるだけでは多分十分の効果は期待が出来ません。やはり中から調子を整えて、改善しないといけません。
 類似の問題は例えば乳房の形状です。調節に大金を使っている方もいらっしゃるでしょうが、これもやはり内部から改善しないと長期に満足すべき効果が見られませんでしょう。乳房は東洋医学において上記の肌と同じ胃と脾臓の働きを反映します。その他に、姿勢は大きな影響があります。
上記のいずれの臓器の働きは幾分自分で指圧等の方法によって(可能であればお灸で)調節することが出来きます。勿論、このような調節は本格的な鍼灸治療で尚良いでしょう。
ご相談は無料で承ります。

元気

元気は文字通り「元の気」。この関連で生命の源。
単なる挨拶→ 「元気ですか」ではない。
元気は東洋医学において大きく分けてしまえば「先天性の元気」と「後天性の元気」がある。
前者は生まれる前に親から頂く生命力と考えて良い。それは生きている間少しずつ使われて、全部使い切った段階で死亡する。この気の種類は後から付け足し出来ないものだ。
それに対して後者は生きている間常に補充しなければならない。「補充」と言うのは飲食や呼吸によって身になる材料及び燃料(食べ物)、その材料を運搬/運営出来る媒体(水)と生体を動かすエネルギー元(空気、「気」そのもの及び燃料を燃やすに使われる酸素)を指している。
後天性の元気は生命活動に不可欠なものですので、出来れば「いい品」を使うのは賢明でしょう。
そして「先天性の元気」と「後天性の元気」を自分の意志で操作する技術を少々身に付けると多いに役に立つに違いない!

「気」と言うものは真に不思議なもので、その実態についてとても「簡単」には語れない。しかし、東洋医学を営む上に、どうしても一言は言わざるを得ない。
気 - その存在と運営、操作は東洋医学の真髄だとは過言ではないでしょう。気は人間の体の中(それぞれの臓器、経絡、血液など)と外(外気、天気、環境の変化、他の生物など)にも充満していると考えてもいいでしょう。そして常に変化し続けていて、決して「静止」はしない。
気の流れは患者-治療者の関係も、治療効果にも決定的な影響を与える。

最近何でも「科学的根拠」を見出していかない限りその存在を認めないと言う時代の流れだが、現時点では気の「科学的根拠」はまだ納得の出来る形で示されていない。そのため気に巡る議論は永遠続いている。


歴史的及び地球規模的(グローバル)を見てみると、全ての時代に、全ての文化圏には類似の概念がある。単なる偶然?
「科学的根拠」はまだ特定できないから「気が存在しない」結論に飛びつくのはいかにも「非科学的」だ。その正体を測定する装置がない、捉える概念が定義されていないだけかもしれない。つい最近(2013年の春)に全世界に揺るがす出来事があった:「ヒッグス粒子が発見された」。聞きなれていない言葉だろうし、一般庶民には全く関係ない事でしょうが、例のヒッグス粒子の存在は長年に「推定」された。その粒子が存在しないと現在の物理学(科学!)の基礎が完全に崩れてしまう=成り立たない。なのに今年までその粒子の存在を証明する証拠の影も形もなかった。

もしかして「気」の正体は zero-point energy (http://en.wikipedia.org/wiki/Zero-point_energy) にあるか・・・


今まで証明出来なかったから存在しなかった訳ではないだ!同じく:電気、磁場、微生物(感染症)などなどにも言える。黴菌の存在を証明出来なかったからいなかった訳ではない。感染症が世界中絶えず無数の人の命を奪う。それは幻しいではない。
気は恐らく同じものだろう。いつか技術の進歩で正体を突き止めて、測定する事ができるようになるだろう。その時まで少なくとも東洋医学においてこの不思議な力を操作するのは我々「鍼灸職人」だ。

病気

「病は気から」と言う慣用語は誰でもしている。あらゆるの病は多かれ少なかれ「気」によるか「気」に影響を受けるのは東洋医学で考えている。
したがって、来院する患者はその「病の気 = 病気」を持って、出来る限り早くなくしたい。その気持ちは良く分かるつもりだ。では具体的には・・・
患者が自分の病の気を治療者に「取ってもらいたい」、言い換えれば治療者に送り込み、その代わり治療者から「元の気 = 元気」、つまり健康である能力を受けたい。
治療者はこの「病の気をなくして、元の気を取り戻す」過程において単なる仲介役(理想的に)ですが、やはり「気をつけない」と病の気の渦に巻き込まれる。つまり、治療者は病の気のゴミ箱のようなものだ。そして、どのゴミ箱は何時かいっぱいになる。治療者は病の気で満杯になってしまえば、治療も出来なくなるし、自分も病気に成る。
 自然界から新鮮な「気」を取り入れて「充電」しないといけない。私はそのため定期的海に行って、生命の母に手を翳していらない病の気を放出してから新鮮な気を頂戴し、海(空、大地など)に感謝する。

メニューなし治療院

時代の流れでしょう。ほぼ全ての治療院/医院は何かの「メニュー」を使っています:治療時間はコース次第5分や10分単位で、それに伴う治療費もまた細かく区切られています。場合によって5円単位。
基本の治療に○○治療手段が追加すれば、あるいは治療時間が通常より何分延長するならばXXX円追加料金が加算されます。

それはきっと「普通」の営業方法に違いありません。

しかし、私は個人的どうしてもそれに賛同出来ません。

来院する者は「病」に「患って」いる「人」=患者です。
その人は部品の集まりではありません:左膝に症状あれば左膝のみに治療するのは修理工場のようです。筋骨の問題でなければ、更に別の工場に訪れる必要あります。それぞれの工場では取り扱う「部品」は「診ます」が、「人」=患者を見失われる危険性あります。

東洋医学は本来「人」を診るものです。
医術に関わる者は「病」に「患って」いる「人」を診るべきです。それは東洋医学だけではなく、西洋医学の父と言われる古代ギリシャのヒポクラテスも同じ事を言いました。伝統医療の職人として私はそれを信じて「メニューなし治療院」を営んでいるつもりです。
可能であれば、患者を「病」から解放に必要な治療手段を全部施し、治療時間の制限も特に設けていません。治療には必要な手段を全部使い、全身を診るため必要な時間をかけます。追加料金は過去30年間に請求したことありません。
この治療方針はこれからも変える意思ありません。

拙著の例

今年(2013)2月に出版された私の本は主にここにも挙げているテーマ = 養生 にかんするものだ。

日頃の生活でちょっとした工夫をすれば、何も買わないで、どこにも行く必要ないままで運動や自己管理が出来る。


ここ例として「歯磨き運動」のサンプルを乗せる。

医道の日本社で出版された私の拙著 「トーマス 先生の話を聞いてみませんか」 より

私の本から「医道の日本」2013年6月号に転載された分もある。

生活環境と工夫

文明の利器に齎されている生活の便利さが帰って人を病気にするならば、結論は比較的簡単なものだと思う: 意図的不便な事をする。
下記の拙著例 - 歯磨き運動 - のように「必要ない」動きをわざと生活に取り入れることによって、「楽」と言った甘い罠から脱出する最初の一歩になるでしょう。
具体的どのような工夫をすればここで指定しなくても良いとおもう。それぞれ自分の生活に合ったものを考えて頂きたい。だが例えば洗濯物を干す→洗濯物の籠を洗濯機から干す場所まで運ぶ時、腕を伸ばして籠を体から放して運べば。
お茶やコーヒーを入れるとき薬缶を体から放してお湯を注ぐ。
二階に行く時階段のステップ一段ずつで足を乗せた時一端片足で体を押し上げる(爪先立ち)すると脚の訓練できる。等・・・

何か「不便」を作るチャンスは略無限にある。

治療手段

鍼を刺そうとしたところ

通常の置鍼(鍼を刺して暫くそのまま置いておく);
二本の鍼の間に電気を流す(短時間の微粒=パルス療法)(滅多に使わない);
鍼をやや深めに刺して、手で操作する=手技鍼;
小さな艾の塊を直接皮膚の上に燃やす;
敏感な人に艾の下に敷き紙を敷いたりし、間接的なお灸を行う;
温灸 - 艾と体の間に物(生姜の輪切り、や貝殻)を挟み、火傷しないお灸
指圧
マッサージなどの手技療法

写真: 待合室の風景;そこは時々変る