Category: Opinion

様々な意見・異見。

トーマス鍼灸院の資料館

トーマス鍼灸院の古い資料館 から

この資料館はちょっとした「お化け屋敷」のようだ。ここに集めた古い記事は殆ど今の新しいHPに「相応しくない」と言われたものばかりですが、私の考え方、私の言葉で表現している。相応しくないかもしれないが、過去にこちらの意思表現したものですので、捨てるのは勿体無い。未だ古い物を全部ここに掲載していない。時間があればその内に追加します。

PSE「法」についての意見

ファクス送信表  

トーマス鍼灸院 

宛先:          経済産業省、大臣官房広報室

用件:        PSE「法」についての意見

拝啓

  私は業者ではありません。上記の業種の職人に過ぎません(ドイツ人)。先日患者から来月に「PSE法」が施行される事を聞いて、その内容を調べたところでびっくりしながら立腹しました。多分世界のどの国で「こんな法律はどう思います」と聞いても「そんな馬鹿な」と返事するしかないでしょう。

 私は数が少ないが、時々オーディオ機器を中古で購入します。現時点使用している物の半数はそういった中古物です。どこにも問題ありません。そして(当然のこと)経済的の側面でも一々新品を買える余裕の無い者にとって中古品はどれだけありがたいか役所では理解出来ないのか、それとも使用としないのでしょうか。

 貴省が施行しようとしている「法律」は常識や庶民の意思に反してるのみならず、環境問題、地球温暖化などにも大いなる悪影響与える事になるのは避けられませんでしょう。完璧に作動する物は廃棄処分せざるを得ないからです。ただ「不要」となった物を粗大ゴミに出す事で済めばよいが、その廃棄処分はお金も掛かります。従って、その余計な費用を負担したくないが、引き取る者もいなくなるので今でさえ道路の傍、海岸や森に投棄されている物の数は増加されるは確かでしょう。

 貴省が「安全を確保するため」をこの法律の根拠とするのは良くても言い訳でしょう。何処かに問題があるようでしたら、それはそもそもメーカーが真ともな補修サービスを提供しないことでしょう。いい物を作って長く愛用されるためそれを何時までも修理できる(「古き良きものを大切に使う」)という本来の職人気質の精神はどうなりましたでしょう。この法律は日本の職人に恥をかかせます!

マイスター制度が800年昔から大切にしている国(ドイツ)のオーディオ機器愛好者より。  

Relaxation

これは大変頻繁に使われる言葉だ。映画で「リラクスしろ」も良く出るし、最近の「ヒーリング」ブーム関連で「リラクゼーション」が酷使される語句だ。

それはどう言うことか少々考えたい。

語源 ラテン語 relaxare より. (re-再び+laxare ゆるめる、例えば英語では 「laxative」 は下剤の事を指している). 要するに意味は …をゆるめる, 和らげる(他有り)。

つまり、本来は「lax=ゆるい」であったものは何かの加減で「緊張」してしまった。「re-再び+laxare ゆるめ」ない限り肩凝り、頭痛、不安感、目の疲れ等など多彩な症状がでる。

図1    人形をもって体の神経支配を立体的に表現する人形(humunculus)

人体の外側にある筋肉、つまり骨格筋は例外なく「随意筋肉」と呼ばれ、理論的頭の命令通りに働くはずだ。ならば「リラクスしろうよ」と頭で命令すれば体の緊張が緩むはず。肩凝りなんて問題どこにもない!

しかし、そう上手くはいかない。動物や人間の赤ちゃんは簡単にリラクスは出来るが、通常の人は一苦労せざるを得ない。動物の場合「活動・狩」などを行わない限りのんびりと構えている。人間の赤ちゃんは安心した状態にあると自分の体を完全他の人に任せてリラクスする事ができる。赤ちゃんを抱いたままで寝てしまうと突然ぐっと重くなることがある。その際全身の筋肉の緊張が一気に緩む。

詳細の説明は非常に長くなるから少々省くが、上記の「一苦労」の一つの原因は現代社会がもたらしている「頭でっかち」であり、要するに頭ばかりを使って、体を使ったり,感じたりしない(病気以外)事にあるでしょう。

肩凝り等で悩んでいる人がいるとすれば、本来自分の意志で肩の筋肉をリラックスさせればよい。理論的に可能なことだが、どう言う訳か出来ない。なら何が出来るのか。

 図2    脳の断面図で脳内の(運動)神経領域を表すイラスト

こちらも詳細のことを省かざるを得ないだが、人間の「神経支配」を少々考えてみると閃かれるかもしれない。知覚神経(ものを感じる神経)及び運動神経は両方とも均等的体中に「配線」されている訳ではない。顔、特に唇と舌や手の先では他のところに比べて非常に密集している(イラスト1と2はそれを表現している)。そう言うわけで赤ちゃんは先ず何でも口に入れて、そしてもう少し成長したら、何でも「手にとって把握(=理解=ドイツ語では“begreifen“)使用としている。唇や手から大変多くの情報が脳へ伝わる半面に、この部分の制御(運動機能)も極めて綿密だ。

肩を選択的に「リラックス」出来ないかもしれないが、細いに制御できる手指を意図的にリラクスする事は少々の練習で可能になる。そしてその感覚を覚えていけば力を抜く範囲を段段と広げて肩や他の部分まで波及させることは決して夢ではない。リラクゼーションも訓練が必要だ。

日頃ちょっとした時間あれば、一息をして、楽に座るようにしておいて、頭の中になるべく大きいものを描いて、そして自分の指に(拳骨という関節より先)に集中して貰いたい。指一本ずつ反対の手で持ち上げて、力を抜いて、指を重力に任せて下落させる。全ての指に繰り返す。目的は指を上げた後離したとき=解放したリラクゼーションだ。指は下ろすよりも指が「落ちる」感覚を覚えてもらいたい。患者を診て手が「緊張している」人は実に多い。このような患者の殆どは手が緊張しているだけではなく,全身に緊張しているひとがおい。たんなる肉体的緊張で止まらず、精神的の「緊張」とそれに伴う精神症状を呈することはどちらかと言うと「普通」。その緊張を指から自分の意志で抜く技術覚えておけば、少しずつ体の他の部分まで応用出来るようになると信じる。説明は極めて短いで短絡的ですので、私は言いたい事が通じるようでしたら嬉しい。(何時かもと詳しく書きたいが・・・)

図3    こんな光景を描いて心広く緩やかにする

「性」とは社会的、文化的、歴史的など多方面から影響または制限を受けている。場合によって「語るべからず」 (taboo) ものでもある。しかし、「性」無しでは「人間」を語れない。

人間と動物の違いは上記の社会、文化、歴史、教育や宗教的要素にはある。「性」の刺激を受けてもそれに直接対応する行動をとらない人(つまり日常生活では大半の人々)は長い教育課程で「無理やり」に身に付けた「自制」を効かせている。

実際に男女は絶えずお互いに性的刺激を送信する事はそれより遥か昔から存在するシステムであり、全ての文化、教育や宗教より根が深い。

どれ位か?地上に多細胞生物が現れているから、それらの生物の殆どは雄-雌に分かれて繁殖する。そして繁殖は無論その種の存続のためである。

女性の真っ赤な唇(口紅を付けるのは只の流行ではない!)、体曲線が自然と目立っていた上に服装で強調し、製薬会社がちゃんと性的刺激物と添加する香水を付けると、「自動的」に男性を発情させる「繁殖力有り」と言う刺激を送信する。当然男性は「自動的(無意識に)スヴィチ」が入るようにプログラムされている(遺伝子が作動する)。人類の祖先時代以前から!

男性の場合逞しい姿や豪華そうな服装 / 振る舞い / 持ち物(例えば車)を披露することにより女性も「自動的(無意識に)スヴィチ」が入る。動物の世界と全く同じ仕組みですが、人は動物や昆虫と「同じ手」を使って異性に性の暗号を送信すると指摘すれば大抵怒られる。

しかし、「とんでもない!そのつもりではありません。」と言っても事実は消えない。「性的スヴィチオン」パターンで毎年軍事予算を遥かに上る売上をもたらすビジネスもある:ファションだ。歴史的変化があったとしたら、その際何かの形で背景には男女関係があったと推測する。

「性」は生物にとって固体の生存意志に続いて二番目強い力はである。この多大な力はあらゆるものに注ぎ込むことができる。活動の動機は大半この「性」にあることを認識し、この力をcreatively (独創的)and productively(有意義的) 利用すれば、世の中は随分明るくなると確信している。

患者様 ・・・

この言葉は最近流行っているように見受けるが、どうも「腑に落ちない」。
* 「腑」は無論五臓六腑の「腑」であって、飲食物が臓器の働きによって「腑に落ちる」=消化されて伝播される。転じてある概念/思考などを十分理解しない/出来ない場合それが「腑に落ちない」。
私は「患者様」と言う表現が「腑に落ちない」。十分理解出来ないし、その使い方にも賛同出来ない。

患者は 「患っている者」であるのみ。
同じく医者は「医者様」ではない!
私の好きな言葉:「医は病を治す工である」(出典不明)
医も患者も普通の人間だ。神様、上様、殿様類ではない。
「医は病を治す工である」 - 私もその通りだと思う。
ならばその延長線で「大工様」で言う?言わないはず。
「八百屋様」???変だ。
お客様 - ま、時代の流れにてそれは何とかなれている。

当然ここに「あからさま」になっている「有様」は日本の社会に於ける上下関係だ。
「上様」では文字でさえそれを指している。
お客様はお金を使って自分の店の商品/サービスを購入するからある程度の「見上げるありがたい存在」かもしれないが、「患っている者」「病を治す工である=医」は先ず同等の人間同士である。適切な「治療」を可能にするため不可欠の信頼関係/人間関係は酷く上下の勾配に影響されると関係者の両方とも酷く歪んだ世界観で正しい見方=判断できなくなってしまうだろう。

時代とともに言葉の意味や使い方が変わってしまうのは承知の上だ。
例えば「貴様は何を考えているか」(今、私の発言に対してそう思う人もいるに違いない)と聞くと今日現在では余りいい気分ではないだろう。

き_さま【貴様】→♪[0](代)二人称。(1)男性がきわめて親しい同輩か目下の者に対して用いる語。また、相手をののしっていう時にも用いる。おまえ。「―とおれとの仲ではないか」「―それでも人間か」(2)目上の者に対して、尊敬の意を含めて用いる。「―は留守でも判は親仁の判/浄瑠璃・油地獄{下}」「(髪ナドヲ)―ゆゑに切る/浮世草子・一代男{四}」〔中世末から近世初期へかけて、武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後、一般語として男女ともに用いるようになったが、近世後期には待遇価値が下落し、その用法も現代とほぼ同じようになった〕

私は患者は患者だ。
患者様ではない。
気をつけないと患者様は治療の妨げになり得るのではないか・・・

「秘密に取り扱って ・・・」

そう依頼することは頻繁にあるが、それは例えば特許であれば・・・ 原文が「特許公開広報」である。つまり「公開」=「皆に見せます」って言う事。既に公に公開されている。全世界の人はこの文章を見られる。いや、逆に出願者は見て欲しい。じゃないと他の特許権との問題が発生するかがわからない。それを「秘密に取り扱って ・・・」と翻訳会社から依頼されてしまうのは今風の「個人情報保護」パラノイアの延長線でしょうが、どれほど矛盾している/無意味である事が誰も気が付かないのでしょうか。

観光案内なども似たものだ。作成者も利用者もなるべく多くの人々に見て欲しいだろう。なのに「秘密に取り扱って ・・・」

その秘密妄想はもう一度考えた方が良さそうですね・・・

イメージ中毒

イメージ中毒

格好を付けたがる人は世界中にいるが、日本人は多分特に「ブランド名」に弱い(イメージ中毒症)ような気がする。それが「流行マニア」と組み合わせてしまえば妙な雰囲気になりやすい。

気をつけないと味方次第でかなり滑稽になる危険性ある。

例えば車に関して外車をのって、自慢する:内のワーゲン(Volkswagen = VW)だと喜んでいる人がいる。しかし、Volkswagen は「庶民の車」と言う意味で、ヒトラー時代で一般庶民でも買えるために開発された車だ。今度「内のワーゲン」で威張る人がいれば「内の庶民の車」と言って見るとどうなるでしょうか。

BMWも同様。「内のBMW」と威張る人が決して少なくないだろうが、BMW = Bayrische Motorenwerke の略だ:バイヤーン地方自動車工場。

「オレはバイヤーン地方自動車工場の車のっているぜ」ってどんなイメージだろう。

全く関係ないだろうが、楽器に対して同じ態度をとる日本人(今井さん)。

素晴らしい楽器(私は個人的に知っている事⇒ ギター)を作る日本人がいる。ところがその楽器を国内の楽器屋さんに持っていると「素晴らしい楽器。だが、内では売れない。なぜか:貴方は名前がない=有名ではない。

本人は同じ楽器ヨーロッパなどの楽器屋に持っていくと「あっ、これは凄い!是非とも販売させて下さい。」

私の馬鹿の願いですが、日本人は自分の「偉大」な歴史に誇りを持って、外来ブランド依存症から少しずつ離脱して、ものの良さ自体の見る目を持つようになるように祈ります。

翻訳の不思議色々

(http://transcurio.blogspot.jp/) 参照

1.    翻訳者 ― お任せするぞ

最近ある仕事をしている中(役所の文章)に色々意味不明の表現あった。

例えば補助金の制度が説明されている所で「最大30億円以上」が出てくる。

「最大」とは⇒ 「これより上はない」と言う意味のはず。

なのに数字に続いて「以上」が来る。

それと「近年は特に健康予防医療・・・」が出てきた。これは「健康/予防医療」であるべきだろう。それに相当する英文において翻訳者は既に適切な区切りを入れた。そうでなければ**健康を予防する医学**=医療を用いて人はなるべく健康にならないように努力する。凄いですね!(参考に「感染予防医療」を考えてください。)

これはどのように解釈すべきかを翻訳会社に問い合わせてみたら:「クライアントに合わせたら、これはネイティブの方(翻訳者)のご判断にお任せする」という返事が来た。

翻訳者は本来原文に「何も足さない、何も引かない」筈なのに・・・・・

私は昔からこのような不備の原稿を見て最初から「筋が通る」文章に仕上げるように翻訳する。その分の支払いは上乗せすべきでしょうが、「時代に合わせてレートを下げる」との要求ばかり。

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今度は「英語」の例。これは日本語の原文が英訳されたものだ。私はそれをドイツ語に翻訳する必要あった。

Remove the [1] screw at 2 places at the top of both sides of the touch panel controller.

⇒ 上記の文章ではネジ一個が2箇所で止める指示になる。一枚の板の前後ではなく、パネルの左右に。私は考えられる範囲内では略不可能だと思う。 次に同じ原文から。元の日本語も変な国語だったから下記の結果を招いた。

Do not use the unit for special purposes, such as storing food, raising animals, growing plants, or preserving precision devices or art objects. It can degrade the quality of the preserved or stored objects.

タッチパネル=エアーコンを操作するための電子機械。”use the unit for” と言うのは「その機械は○○に使わないで下さい」を意味していると思います。→”use the unit (panel) to store food / use the unit to raise animals ….” それはどのようにするのだろうか。

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「プルーフリーディング」 は気楽に頼まれる事がその正体はよく理解されていない(勘違い)様な気がする。「校正」及び「編集」の違いについて(英文、ネットにあった):

Editing(編集): Requires subject-matter expertise. Post-translation critical evaluation of the author’s (or translator’s) understanding of the material and/or use of terminology or concepts in the text. Includes also correction of obvious errors.

Editors are not proofreaders, although reading proofs is often part of the job description. Proofreaders check written material, usually as the final step before it is set into type, to correct errors in grammar, spelling, usage and style. Editors are expected to be fully qualified professionals, ex: a medical editor should have an excellent knowledge of medicine.

The term proofreading is sometimes used incorrectly to refer to copy-editing. This is a separate activity, although there is some overlap between the two. Proofreading consists of reviewing any text, either hard copy (on paper) or electronic copy (on a computer) and checking for typos and formatting errors. This may be done either against an original document or “blind” (without checking against any other source). Many modern proofreaders are also required to take on some light copy-editing duties, such as checking for grammar and consistency issues.

Proofreading: Requires target language knowledge of grammar, spelling and an ability to identify obvious mistakes and omissions. Post-translation checking of grammar, spelling, completeness of the text and correction of obvious errors. Proofreading means the critical revision of a text. In translation, this task mainly consists of checking aspects of spelling, grammar and syntax plus the general coherency and integrity of the target text. Proofreading constitutes the translator’s quality assurance; a factor that is always necessary within a purely human procedure. Proofreading should always be carried out by an experienced translator. OR: Proofreading is the procedure of checking composed material against the original manuscript for the purpose of locating errors before the newsletter is published or printed.

Client obligation!

As a translator I am ALWAYS asked to transform some meaning from one language into another. That’s what I am paid for. And clients therefore EXPECT me to provide “perfect” translations. However, this may not always be as simple as it sounds (or some dictionaries try to make believe). For example, the other day I was asked to translated some materials for a company intern presentation. I just got a list of words, no context. And the terms are “insider jargon” that cannot be understood without additional explanation and, naturally, do not in any dictionary. A while AFTER I submitted my translation WITH a number of questions, the client provided some of the required specific information and a few links to relevant websites. But before I obtained this information, the agency asked me to go over the text again and “carefully consider” the selection of tranlation terms. I wrote them back that I am always carefully considering what I do AND can rely on 20 years of experience. Yet, that does not mean that I can always decide all by myself what is the “most appropriate” translation for certain terms. The agency then continued “We can understand your feeling of confusion regarding the lack of sufficient background knowledge …” Yet, this is NOT a matter of feeling. Clients are trying to communicate = share meaning with other people. My job is it to help them, but use ONLY THE WRITTEN WORD. That means, there is no gesturing, body language, voice pitch etc. Maybe  a few graphics or even pictures. Still, the written text carries most of the message (as opposed to spoken language!). In that case the words MUST have a well defined meaning readily understood by both parties. If those meanings are left mostly or entirely to assumption(s) by the various parties that try to share the information, a meaningful communication is close to impossible. It might be of interest to hear what specialists like cyberneticians, computer scientists or just plain linguists would have to say about this matter. (Scientists like to DEFINE everything they are going to do/say, in order to eliminate ambiguity.) By the way, this very foundation of information exchange had already been established and of pivotal importance in ancient Greek philosophy! If the source text / material is not clear, people should NOT blame the translator for doing a poor job, because s/he can work only with the material provided. (Actually, in my special fields I provide a lot more, even correct errors of the manuscript during the translation.) So, if the original material is ambiguous or of poor quality, you cannot really expect anything but a poor quality translation or even outright nonsense. A carpenter cannot build a nice house with rotten wood! In the document mentioned above almost none of the problems encounter could be solved by using dictionaries, because it was INSIDER LANGUAGE that does not appear in any dictionary! It needed the topic specific information from the client – first hand!  So, I think it would be only fair that a translator can demand of the client (through the agency) to provide clear (both in meaning AND visual appearance) source texts AND whatever subject specific information they have. This is an obligation the clients have, when they wish to obtain translations that are well received by the people for which they are intended!

日本と情報

Information is passed along in many ways  

旅行するたび、又は外国人の友人あるいはお客さんとの話においていつも一つ妙なことに気付きます。日本は世界中から膨大の情報を取り入れ、国内にあらゆる形で分配します。どの小さな街角の本屋さんにも世界各国の本の日本語版の本を多数が置かれています。しかし、その反面諸外国において本屋さんに日本語の文学、あるいは他の分野(これに関して特に私の専門分野の東洋医学について詳しい)の翻訳文非常に乏しい
先日ドイツの大きいな本屋さんを訪れ、置かれていた日本語の翻訳本片手で数えられるようなものでした。
1200年あまりの伝統に恥をかかせるものも見掛けた事もあります。

Thus, because other countries are not really looking, and Japan itself does not actively provide this information, Japan seems to be still a sort of “undiscovered island”
along the so-called information highway!

I would gladly offer my services to anybody (publishers, companies, etc…). Maybe in this way I could also help a large portion of the world population finally get access to a large body of valuable information on Japan.