身分・・・

私の意見(異見)は決して普通ではないし、多くの場合常識から外れているので、反論や批判も多い。一つの相違点は服装。

良く「患者様」 - 私はその言葉が可笑しくて、単なる「患者」であるべきだと思う - に敬意を示すために背広、ネクタイ、その上白衣をきるべきと言われる。しかし、私は学者でもないし、上流階級のものでもない。私は肉体労働の職人 - 三流程度 - に過ぎない。よって、その身分にあった服装は極普通のものであって、決して高級ブランド品ではない事。自分の身分にあった服装を着ることは自分自身に対して正直で、患者に実際(実力)と異なる姿を装わない事だと信じている。ご了承頂けたら嬉しい。

私の普段許されざる異見や思い出は昔からブログに書いている → ドイツ人鍼灸師の意見=異見

身を持って

真面目な鍼灸師は患者に施す治療を先ず身をもって体験します。鍼灸師は自分に鍼をしたり、お灸をしたりして、患者に「アドバイス」する運動など自分でもします。そうしてから前述の「先生」=「先に生きる者」役割を果たすようになります。
そして自分はされたくない治療を必要なければ患者にも施しません。
それ故に治療者の治療 - 大きく言えば存在 - は説得力あります。

私は個人的「響く鍼」が余り好きではないので、どうしても必要だと考えない限り患者にも響く鍼をしない方針です。

10年ほど前に自転車の事故で手術を受けることになりました。その体験で術後の状況を非常に良く分かるようになりました。この体験なしで昔病院で行った研究(鍼治療で術後疼痛管理)を行った最中で患者に大変未熟な発言し、姿を見せたのは反省しています。
また、2年前に別の事故でも「身を持って」何が大事かが良く分かりました。
自転車: 地球のため

同じ事は「運動」(→自転車を参照下さい)にも言える。常に患者に運動を進める私は何もしなければ可笑しい。

責任

基本概念の(3):「人間は自分(とその他の生物)の健康状態(命)に対して責任があります。」のような文章を書くと怒られるに違いありませんが、その真実を今もう一回認識する必要があると思います。怪我、感染症、先天性疾患などに関して患者本人が悪いといっていません。
しかし、仕事上で必要ないのに姿勢を悪くしてから例えば肩凝りになってしまうのは本人の責任範囲内にあり、病気の原因を取り除く努力意思が無ければ、鍼灸治療でも治せません。症状が一時的少々改善するのみです。
病気を根本的に治さない(出来るにも拘わらず)で患者を通わせるのは不徳義だと信じています。 

先生って・・・

私は三流の職人しかないのに鍼灸師としていつも「先生」と呼ばれる。
鍼灸師は地元の「先生」= 模範として = 1500年前からこの国で良き「指導者」→「先生」=「先に生きる者」の役割を果たし、住民の健康を守る事に貢献して来たし、これからも継続的それに勤めるすべきと考えている。
国民の知的財産である東洋医学の知恵(常識でもあります)に基づく「指導」すれば、個人の健康と医療費削減を通して社会の健全化に働きかけられると確信する。

先ほどの「先生」と同じ形で「指導」と言う言葉を考えてみれば、次のように捉えられる。「指導」 = 指+導く。赤ちゃんが親の「指」(手全体が大きすぎる)を捕まえて、親に導かれる。「導く」は「道+寸」で出来ている。導くことは相手の手をひいていくべき道を一寸程案内する。先生は今度ここにとどまり、生徒=患者が一人で示された道を進む・・・出来れば最終的もう先生の世話にならなくてよいように。

拙著の例

今年(2013)2月に出版された私の本は主にここにも挙げているテーマ = 養生 にかんするものだ。

日頃の生活でちょっとした工夫をすれば、何も買わないで、どこにも行く必要ないままで運動や自己管理が出来る。


ここ例として「歯磨き運動」のサンプルを乗せる。

医道の日本社で出版された私の拙著 「トーマス 先生の話を聞いてみませんか」 より

私の本から「医道の日本」2013年6月号に転載された分もある。

医療とお金

一方社会福祉に掛かる財源が既に足りなくて、将来が大変だと言われて、他方で「先進医療」(大変お金のかかるもの)と「医療産業」が進められている。先進医療は想像が絶するほどのお金が掛かるから、それを提供する会社や施設は喜ぶ一方で社会に大きな負担をかけることになる。無論裕福の人しか受けられない。又医療産業は一つのビジネスであっては結構ですが、本来「病人」、或いは病を装う/想像する人がお客さんとして必要です。言い換えれば、人々はなるべく病気になって貰う事はビジネスの基盤だ。

私は日頃お薦めする日常生活の中で自分なり意図的「不便」なものを見出し、それを「健康法」にするのはお金も掛からないし、特定な場所も決まったファッションも要らない。要するにビジネスは生まれてこない。どちらかと言えば現在行われている「健康ビジネス」を妨害しているようなものだ。

そう言うわけで企業/国/団体(医師会など)/保険会社などは私が常に発している戯言に興味がない - 敵対心までありそう。しかし、我子は現在既に加齢し過ぎた社会を支えるにはかわいそうと思われる負担が押して付けられている。私の戯言をもう少し耳を貸していただければ、そして東洋医学の知恵に目を向けてしまえば、現在年間(保険部分)約40兆円の医療費が大幅減少(25%??)させることが出来ると信じる。

生活環境と工夫

文明の利器に齎されている生活の便利さが帰って人を病気にするならば、結論は比較的簡単なものだと思う: 意図的不便な事をする。
下記の拙著例 - 歯磨き運動 - のように「必要ない」動きをわざと生活に取り入れることによって、「楽」と言った甘い罠から脱出する最初の一歩になるでしょう。
具体的どのような工夫をすればここで指定しなくても良いとおもう。それぞれ自分の生活に合ったものを考えて頂きたい。だが例えば洗濯物を干す→洗濯物の籠を洗濯機から干す場所まで運ぶ時、腕を伸ばして籠を体から放して運べば。
お茶やコーヒーを入れるとき薬缶を体から放してお湯を注ぐ。
二階に行く時階段のステップ一段ずつで足を乗せた時一端片足で体を押し上げる(爪先立ち)すると脚の訓練できる。等・・・

何か「不便」を作るチャンスは略無限にある。

生活習慣

無論、「生活」は日頃毎日の行動全てを包括的に表現したものだ。
そうであるならば、同じく一目瞭然に人間の「生活」例えば100年ほど前と比べて大きく変ってしまった。もっとも目立っているのは恐らく文明の利器に齎されている変化:生活のどの部分に何かの「機械」が侵入してきて、生活は「楽」になったと人々が喜ぶ。
問題は「楽」になればなるほご「楽園」には近付かない。

詳細の事はここで省略させて頂きますが、先ず挙げるべきのは食生活と運動。現代の先進ヶ国において今暫く飢餓はなかったから、いつでも、季節はずれのものを含めて、満腹(過ぎるほど)まで食べられる。「自然感覚」の失っている現代人に致命的になる。
それと同時に機械文明によって進行させられるのは病的運動不足。又は人間が「動物 = 動く物」であるのに、一日座ったままで過ごす - 植物のような生活 - 事になった。

そういった「生活習慣」は今誰でも耳にしたことある「生活習慣病」を引き起こす。
人間は自らの行動で病気にしてしまう事を「医療産業」にとって金の卵を産む鶏のようなビジネスチャンスとして捕らえている。日頃「生活中!」でどこでも見られる「健康食品」や「健康商品」の氾濫と絶えない広告は物語っている。

鍼灸職人育成場

タイトルは兎も角ですが(その辺はまだ考え中)、そのような事をやりたくなった。
その訳は手短に説明する。
数年前当院で治療を受けている人はその治療(雰囲気)の影響で今までの堅い就職を止め、鍼灸師を目指して専門学校へ行くようになった。来年の春に国家試験ある。先日「その後はどうしたら良いかと悩んでいる」と相談に来た。
相談の際何気なく仲間何人を集めて、共同で余りお金の掛からない形で「練習用な治療院」でもやればいいのではないかと言った。現実問題としてどこかの整形外科や接骨院で勤めて「経験を積み重ねる」のは至難の業でしょう。指示通りで動いて、何かの機械のタイマーをセットしたりして・・・そのままでは「鍼灸治療」いつまでも経験しないでしょう。
大先生の弟子になってもいいですが、その場合その先生のスタイル/教えに限定される可能性が高い。
出来れば新米の鍼灸師本人の思うままで治療を試みて欲しい。思う通りには行かなければ、ある程度臨床経験のある人に意見を求められる環境が望ましいと私は思う。言ってみれば昔のドイツの「マイスター制度」のように。どちらかと言えば私は昔多摩川病院で勉強させて貰った時そのような環境だった。

そこで「提案」ある。
2年ほど前に義理のお母さんがなくなった。その家で妻現在週に2-3回程度一人ずつのピアノの生徒を教えている。それ以外あの家は開いている。具体策はまだ練っていないが、本格的な治療院ではないにしても、上記のような「鍼灸職人育成場」は作れるのではないかと思う。
もしそのような所で鍼灸学校卒業直後で自分なり多少の経験(どんな偉い先生も何時か初心者だった!)を積み重ねるチャンスを求める者がいれば、一度話し合いましょう。

家を貸して金儲ける事は考えていない!でもその家の維持するために掛かる経費(家を使っても使わなくても掛かる!)の足しになると嬉しい。

外国人にも見せてください

私のサイトには 英語 やドイツ語のページもあるから時々外国の方から『既に中国の鍼を「知っている」か「勉強した」のですが、出来れば「日本の鍼」について 勉強 したいと問い合わせがある。
私自身は大変未熟ですので、あと200年間の修行をしないと一人前の鍼灸師にさえなれません。まして「日本の代表」として「日本の鍼」は語れません。
そこで、ご自分の誇り高き「職人気質」を海外(日本以外全世界です!)の方に披露して下さる先生方 - つまり外国の方を自分の治療院で見学させても良いと協力して下さる先生方をさがしている。
ご協力の程、宜しくお願いします。

写真: 二人のオーストラリア人を七沢病院ないの東洋医学科に連れた際私はモデルになって、一時的4人(写真に写っている見学者、東洋医学科の主任ともう一人の職員)が同時に複数の手技を施した・・・