Tag: 鍼灸師

説明はただ働き

患者は医療施設に受診し、検査結果のコピーを頂き、医者に妙な言葉で診断名が告げられ、また来週にいらっしゃいと言ったパターンは誰でもしている。その中に先ず問題になるのは診断名。例えば患者に「マイコプラズマ肺炎」、「C型肝炎」や「潰瘍性大腸炎」などの専門用語が突きつけられる。医者が肺炎は胸の病気、大腸炎は腹の病気だと解説が加えてくれるかもしれないが、患者がその事理解してもらったかどうかを確認する医者は、私の経験では殆どいない。

患者が病院の帰りに来院すると、「先生、〇〇病って何でしょうか」と聞かれる。そうすると出来れば患者が分かるような言葉である程度の理解が確認出来るまで説明する。左記の「ある程度の理解」は大半の場合患者が「なるほどね」と大きくうなずく仕草で表現される。問題は、私は「ただの鍼灸師」で、専門家ではないし、生きている百科事典のように、全ての病気の知識をもって、即座どんな質問にも答える能力(当然)はない。私はちゃんと説明できない時患者ががっかりする事もある。しかし、例の「〇〇病」を説明するのは、本来その診断名を使っている医者の仕事だと思う。

ここもまた保険診療の罠がある。つまり、説明するだけでは「点数」=保険会社に請求する診療報酬は殆ど稼げないから、医者にとって説明するのは時間と手間を掛かる割に収入に繋がらない → 要するに「ただ働き」になる。よって、そのような面倒な仕事は他人 → この場合私に押し付ける事が作戦でしょう。

例:5年まえに亡くなった義母に肺がんが診断された際、義母、妻と私は医者の説明を受けた。その説明は凡そ1時間も掛かった。(大病院勤務)医者としてお見事と思ったが、提案された大変苦しい検査法(気管枝鏡)で細胞を採集し、遺伝子情報に基づいて極めて高価の治療に賛同しなかった瞬間で態度が代わり、「その辺の開業医で診てもらいなさい」で説明会が終了した。その後会計で凡そ300円を払った。無論保険診療だった。保険会社から貰うお金を考慮しても、パートタイムの時給より安いかもしれない。その状況では医者が説明したがらないのは分かる。結果的患者が損する者になる。

私の仕事であった

鍼灸師の国家試験を合格してから人の紹介で東京の世田谷区にある日産多摩川病院で代田文誌の息子代田文彦先生にて設立された「東洋医学研究所」に入所し、4年間勉強させて貰った。

4年の「勉強の成果」として二つの仕事を残した。無論主に自分の勉強だったが、その成果や雰囲気が後世の参考になるかも知れないとも思った。周りの人々に多少勉強した事を証明する必要もあった。

二つの仕事とは:

1) 外科手術後の患者ケアーに対する鍼灸治療の応用

  • これは事前計画し、許可を得た「前向き研究」であった。

2)癌治療 - 鍼灸師の観点から

  • これは凡そ3年の間個人的に癌の治療に興味があったため、積極的癌患者を診るようにした結果を纏めたものだ(後ろ向き調査)。

前者は術後疼痛に関するものだった。事前代田先生、外科の部長や外科の看護婦長などの方々から承諾を得てから、凡そ二年半を掛けた鍼治療で手術後の経過は変わるかどうかの「臨床試験」であった。結果をまとめた文章は医道の日本誌に発表された。(ドイツ語に書き直し、ドイツの専門雑誌に出版されたものもここでダウンロードできる)

後に購読していた専門雑誌で偶然私の文章が代田先生の名前で出版された事を発見した。代田先生に大いにお世話になって、特に恨みもないし、責めている訳でもないが、雑誌に出す際に一言を言って来れば嬉しかったのにと思った。

これは全文ではない

何ですか?

本職は鍼灸師だが、生活費は翻訳で稼いでいる。今回翻訳者の立場から2-3点を指摘したい。

 どの分野でも同じだが、専門家しか分からない用語もあり、専門家と一般ン人は違った解釈する用語もある。最悪の場合異なった文化圏の人が同一用語を全く別の形で理解する。当たり前だ。しかし、これを忘れる人は案外に多い。例えば私は自宅で夕食の時「座りましょう」と言えば当然正座の事を指している。故郷で同じ事を言えば当然椅子に腰を掛ける事を意味する。同一人物が同一言葉を使って異なった意味を表す。当たり前の事であっても、使用する言葉を越える情報がない限りに伝えたい意味を正しく理解する事が非常に難しい。

 東洋医学の分野には科学に比べて曖昧な表現が多いから、「使われる用語の意味合を煩い程明記する」事を進めしたい。東洋医学関連文章を翻訳し、良く依頼主から質問も来る:瘀血〔例〕は英語でどう表現するか。海外では西洋医学的立場からアプローチされる事が多く、本来中国語の概念を解釈する可能性は幾つもある。実はこれに関して世界的権威が盛んに議論するところだ。

 東洋医学に関して中国の思想が世界を支配している。同じ東洋医学が日本に於いて1500年にも及ぶ歴史に於いて独自の発想を生み出したのは決して少なくないが、世界に殆ど知られていない。その理由は上記の表現が曖昧さと文章力の貧弱さにもある。「ほら、あれだよ」のような発言は日本に来る前に意識するような形で聞いた事ない。そして、そう言うことを言わざるを得ないのは心を痛めるが、日本語で書かれている専門書や学術論文の表現力が乏しいものが多い(私は言える立場ではない!)。ならば翻訳される日本語の元本が非常に少ない事も驚かない。以前にも指摘した事あるが、日本は東洋医学に関して世界に向けて大事な情報発信地であるべきだと思うから、情報を伝達する「言葉」をもう一度考え直す必要あるだ。

癌と鍼灸

癌と鍼灸

以前学会で発表した事をまとめている。

鍼灸師はどの程度癌の発見に貢献する可能性について学会で発表しました。

その内容の要約はここに記載、

当日使われたスライドはPowerPoint fileをこちら

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