院長の部屋 (ここの「リビング」以外幾つか小さな部屋もある)
(または動画や電子書籍などと一緒に私の Google Drive / Public Folder )
本来「ただ」の世界一周の旅になるはずだった・・・
子供の頃当然弟(私)がお兄さんの真似をする事が多いでしょう。そういう訳でお兄さんが柔道をやり始めたとき私もどうしてもこのスポーツやりたくなった。二年後同様のパターンでお兄さんが合気道を始めて、まもなく私もそちらに走ってしまった。しかし、私に取って合気道は柔道より性に合った事が直ぐに判明した。従って、暫くしてから柔道を止めて、合気道の稽古に専念し、自分で言うと恥ずかしいですが、それなり目覚しい上達した。途中では一旦剣道にも遭遇したが、ここもまた私の性に合わなかった。空手の場合見学するだけでその適合性が明らかであった。 17歳の時テレビで武術に関するドキュメンタリーを見た。その番組に知られていた武道のほぼ何でも取り上げられた:柔道、空手、合気道、剣道、Tae Kwon Do, Kung Fu
etc... そして日本の弓:弓道。この武術ではとても長い竹製の弓で凡そ30mほど離れている的を狙う。ヨーロッパの弓は日本の物より短かいが、大変強力。その為弓を引く姿勢も違う。弓道の場合弓を引く人は道場の床に立ち、芝生を乗り越え、離れたところに設置した的を狙う。 しかしそれは十分だった!
日本に行くしかない!
五年間後、高校卒業や徴兵忌避者として社会福祉の仕事を終え、そして暫くお金を稼ぐ為に建材屋で働いてから当時大体の持ち物を売ったり/人に上げたりし、旅に持っていく物をリュックサック一つに纏め、5年間の貯金、持ち物の売りさばく事や上記のアルバイトによって集めたお金凡そ1万マルクをトラベラーすチェックに交換してから - 当然親の反対を無視して - シベリア鉄道の片道切符で旅に出た。旅はベルリンまでのヒッチハイクで始まり、ポーランド経由モスクワまでの汽車に続き、モスクワから例のシベリア鉄道でウラジオストクまで続いた。そこから船に乗り換えて二日半ほどの船旅で横浜まできた。全体凡そ2週間掛かった旅だった。日本に行くと言う決心、或いは計画の実現性に関する疑問は17歳であのテレビ番組を見てから実際22歳で出発するまでの5年間に一度もなかった! 日本に到着してから適切な道場を見つけるのは思った以上難しい事に悟った。殊にドイツで読んだ本で培われた私の理想的なイメージに合うものを中々遭遇しなかった。ある方の紹介で当時鎌倉に住んでいたドイツ人に出会えて、北鎌倉の円覚寺で住職であった須原耕雲先生をこの件に関する相談のために訪れたとき通訳してくれた。全のお坊さんの住居に招かれ、お寺においてそのような相談が出来ただけで当時感動した。
当然明答を頂いた:「日本語が出来ないならどの先生も貴方を教えられない/教えたくないだろう。白頭の師範が貴方のために態々英語やドイツ語を覚える事も無論期待できない。よって、先ず1-2年間日本語を勉強してから出直せ。」 しかし、その後の2年間は大いに楽しんだ。週数回の弓道稽古(残念ながら上記のお寺ではなかった)、お茶の稽古、毎日相模湾を一望する山の頂上で太極拳の練習などは私にとって快感だった・・・ ドイツで高校卒業、兵役代替社会奉仕勤務を終えた段階でちょうど良い区切りと思い、大学にも行かず或いは職業を身につかず国を後したため、何時か将来どのように生活費と確保する事を考える必要も出てきた。この関係で東洋の哲学等に関する興味を表面化した。つまり、指圧の職業訓練を受けてしまえば個人の興味と仕事の必要性を結び付けられるのではないかと思った。全世界常にどこでも病人がいるから将来安定した生活基盤が出来るではないか - と思い込んだ。
しかし、私はとりあえず暫く(正確に4年間)当時東京の総合病院である日産玉川病因にあった「東洋医学研究所」 に於いて臨床経験(現場の実践)を積む事にした。よって、毎日朝早く電車で東京まで出かけ、夜9時、10時頃帰宅する生活になった。週六日間。弓道やお茶の稽古などの他の活躍は必然的休みになってしまった。その代わり病因で他の所
(2016年の正月)
このような形で本来1年かかる世界一周の旅は日本に永久滞在する事になった。今は既に銀婚式の日本人の妻そして大分大きくなった4人の子供がいる。特に鍼灸師としてこの仕事に関する外国から来る問い合わせに対応しようとする。自分の経験もあるから、外国人が日本で殊に「日本の鍼灸/東洋医学」を学びたい人がいれば何かの形でお手伝いが出来たら幸いだ。そのような構えは必ずしも同業者で歓迎されないが、何となくこれも私の「使命」であるのではないかと思う。
私の治療院において取材中取れた写真
上記のお話は患者のリクエストに答えてもう少し詳しくまとめまして、電子書籍として出しました: これはアマゾンのキンドル版になる。キンドルファイルをパソコンで読めるソフト(無料)をアマゾンなどからダウンロードも出来る: http://kindle-for-pc.softonic.jp/ 又は直接PDFファイルも「販売」している。
私は三流の職人しかないのに鍼灸師としていつも「先生」と呼ばれる。 先ほどの「先生」と同じ形で「指導」と言う言葉を考えてみれば、次のように捉えられる。「指導」 = 指+導く。赤ちゃんが親の「指」(手全体が大きすぎる)を捕まえて、親に導かれる。「導く」は「道+寸」で出来ている。導くことは相手の手をひいていくべき道を一寸程案内する。先生は今度ここにとどまり、生徒=患者が一人で示された道を進む・・・出来れば最終的もう先生の世話にならなくてよいように。
基本概念の(3):「人間は自分(とその他の生物)の健康状態(命)に対して責任があります。」のような文章を書くと怒られるに違いありませんが、その真実を今もう一回認識する必要があると思います。怪我、感染症、先天性疾患などに関して患者本人が悪いといっていません。
真面目な鍼灸師は患者に施す治療を先ず身をもって体験します。鍼灸師は自分に鍼をしたり、お灸をしたりして、患者に「アドバイス」する運動など自分でもします。そうしてから前述の「先生」=「先に生きる者」役割を果たすようになります。 同じ事は「運動」(→自転車を参照下さい)にも言える。常に患者に運動を進める私は何もしなければ可笑しい。
私の意見(異見)は決して普通ではないし、多くの場合常識から外れているので、反論や批判も多い。一つの相違点は服装。 良く「患者様」 - 私はその言葉が可笑しくて、単なる「患者」であるべきだと思う - に敬意を示すために背広、ネクタイ、その上白衣をきるべきと言われる。しかし、私は学者でもないし、上流階級のものでもない。私は肉体労働の職人 - 三流程度 - に過ぎない。よって、その身分にあった服装は極普通のものであって、決して高級ブランド品ではない事。自分の身分にあった服装を着ることは自分自身に対して正直で、患者に実際(実力)と異なる姿を装わない事だと信じている。ご了承頂けたら嬉しい。 私の普段許されざる異見や思い出は昔からブログに書いている → ドイツ人鍼灸師の意見=異見
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