Category: 日本語

日本語でかかれているもの

me-byoセミナー

https://www.pref.kanagawa.jp/docs/cz6/me-byokaizen/index.html

* 類似の文章は以前神奈川県鍼灸師会に送りましたが、この度神奈川県の担当部署と思われる所に送った。返事きたり、何かが変わる事はこないでしょうが、
自己満足のため声をあげさせてもらいます。

拝啓
私は神奈川県葉山町で鍼灸院を営んでいるドイツ人鍼灸師ですが、過去30年以上翻訳業務が生活の基盤でした。
先日神奈川県鍼灸師会から会員宛ての「me-byoセミナー」の案内を頂きました。もう既に数年前から神奈川県がこの「活動」に取り組んでいるようですが、この際一言を言わせて頂きたいと思います。
“me-byo(u)” は無論「未病」の事を刺すはずでしょう。であれば、ちゃんと品のある日本語を使うべきだと確信しています。現代の日本人は常用漢字の「未病」はもう読めないようでしたら、せめてひらがなにしてください。
私の様に方事の日本語が辛うじて分かる外国人は「byo(u)」(書き方も又様々)が「病」 = disease を指しているだろうと悟でしょう。しかし、わざわざ横文字をつかって”me” を足して、しかもハイフンで “byo” と繋いでいると、当然 me = 私だと解釈します。つまり、方事しか日本語を話せない外国人が医者に行って、”me-byo” と言ったら、「俺が病気だぜ」と言っているような意味になります。
そもそも「未病」は一つの単語=概念です。ハイフンの出る幕はありません!そこでハイフンを使うと compound noun のようなものをさしています。 例えば: ”six-pack” や “up-down” 等の言葉。
そして日本語の読み方はどうして “me” になるでしょうか。「未定」や「未婚」は横文字で ”metei” か “mekon” で書くのでしょうか。日本語の発音「め」は横文字で “me” になります。日本語のローマ字表記は中学一年生で習うと聞いています。(辞書によって書き方も又色々と異なる)
お言葉は大変悪いから申し訳ないとおもいますが、そのような意味不明な言葉遣い/造語を使うと、日本人/日本を世界の前で笑いものしてしまう事になります。まるで団体旅行客が「私達は馬鹿です」と書いてある大きなバチを胸に付けているような感じです。(唯一の救いは、外国人がこのような不適切な日本語を殆ど見たり、聞いたりはしません。”Goto Travel” で日本人を恥さらしにするのは別かもしれません。)

数千年も前から常識として伝えられた概念にやっと目が覚めている現代医学(+行政)を褒めるべきでしょうが、攻めてちゃんとした、品のある日本語でやっていけないのでしょうか。お願いいたします。

低所得者基金

低所得者のため

鍼灸治療(費)は現在(少なくとも都会の中とその近辺)8000-10000円程が当たり前の様です。それでは必然的富裕層の方しか治療受けられません。
私はそれをとても賛同出来ません。

当院では寛大な方がいて、意図的治療費より多く払って下さりました(既に2回ほど)。そのお金を「着服」する事も出来るかもしれないが、私と同じような低所得者の治療費を幾分軽減するために当てます。
理想論では本当に治療が必要な(低所得の)方に治療を無料で提供出来たら嬉しいが、残念ながら世の中は中々理想論通りにはならないが、希望をもって続けたい。

Projects

  • 外国人が日本で鍼灸を見学/勉強したい場合の応援
    • 日本の鍼灸師 - 力を貸して下さい!
    • 外国人見学希望者を自分の治療院等で見学させて下さい
    • (中に暫く「弟子」になりたい人もいるようです)
  • 鍼灸/東洋医学に関する和英(+独)の用語集を作成する
  • 可能であれば日本語の本を外国で出版してくれる出版社を見つける(翻訳作業)
    • 「治療家の手の作り方-反応論・触診学試論」 -  [形井秀一]
    • 出版社: 六然社 (2002/01)、ISBN-10: 4901609106
  • この本に関して以前オーストラリアから来た見学者が帰国後一所懸命宣伝してくれたため、出版社2件から「興味有り」との反応があった。
  • そのため本の所々から「サンプル」を取って英訳した事ある。ここに参考までのせる。
  • 中国ではどちらかと言うと「理論」が優先的に考え、○○証だと決めたら例の「標準経穴」に治療する。患者がその場所に反応が有るか否かが余り興味がないようだ。そこで形井先生が纏めてくれた日本の触診の優れた技術を是非とも海外の方に知って欲しい!
  • 私は翻訳者が単にある文章を他の言語の文章に翻訳する物だけではなく、どのような*** 文章 = 本 ***が翻訳する価値がある事を仕事柄上で見つける「専門家」である。残念ながら実際に翻訳される文献の選択はそのような「価値」と無関係で選ばれる。以前私の意見が雑誌で出版された:
  • The above book describes the highly sophisticated Japanese palpation skills acquired and required during good acupuncture therapy. Many Japanese practitioners rely in their treatment on the findings obtained through this kind of very sensitive touch, instead of the theory and pattern driven selection of the so-called “standard point locations”. I believe, a translation of this book would be an invaluable asset to western oriental medical community in general!
  • (The link points to an article I wrote about a translators function as a “bookfinder” (in analogy to pathfinder).
  • Translator as “Bookfinder”
  • Sample -> below

自作を通して養生を促し、(国の)医療費削減に貢献する (医療+金)

須原先生との出会いが私の人生に大きな影響を及ぼしたため、最近須原先生の本:
「出なおせ・見直せ」
を翻訳する許可を得て、これから翻訳の作業に入る。
出来たら電子書籍として公開する予定。2013年12月・・・少しずつ翻訳し始めた・・・

“True” or “authentic” acupuncture

Well, this is a very much discussed topic. Although there is a serious lack in research into the scientific basis of acupuncture, an not insignificant number of studies have been performed, trying to verify the efficacy of acupuncture. For that purpose one thing that always pops up is the distinction between “true” and “sham” acupuncture. Like the distinction between the real drug and a placebo in clinical trials. Apart from the fact, that the design of pharmaceutical clinical trials cannot really be applied to research into acupuncture, the concepts of “true” and “sham” acupuncture present a problem, I believe.
Naturally, performing “sham” acupuncture, not considering the ethical implications of “knowingly deceiving” the patient, is always difficult to realize technically. But the real problem is not the “sham” acupuncture – it is the “true” acupuncture.
The Chinese try to make everybody on earth believe, that their way is the only “authentic” = “true” form of acupuncture. Yet, it uses needles almost as think as sharp-pencil mines, that are inserted “free hand”. This requires some REAL (!) skill to do it in such a way, that it is NOT painful.
I have tried a lot of different brands of needles, but by now come to the conclusion, that “Made in China” represents a very low manufacturing quality. Needling with needles “Made in China” is almost inevitably painful. I tried that myself. And on top of that, the assertion is, that unless you do not elicit the so-called “de-qi” feeling, which is according to definitions by most physiologists a kind of pain, the acupuncture will not be effective.
MOST of my patients, including myself, do NOT like the pain called “de-qi”, or “tokki”, as it is called in Japan. Thus, one type of pain coupled with another type of pain (from the technically poor needles) causes the patient CONSIDERABLE dyscomfort! In fact, and I have been told so by people who underwent such treatment in Germany or the USA, the dyscomfort is so intense, that even though the patients received money from the government, in order to participate in a study designed to show the efficacy of acpuncture, they rather choose to drop out of that study. It was just too painful. And the treatment had been delivered by professionals with something like +20 years clinical experience!
If the treatment is something like a medieval torture, so that patients break into cold sweat even before the third or fourth treatment session and therefore leave the study, the obtained results can hardly verify the value of acupuncture treatment.
Using Japanese needles, technically superior, which are much thinner and inserted with the help of a tube, so that there is usually no pain or dyscomfort whatsoever, “Japanese style” acupuncture treatments still relieves many of the patient’s symptoms – without pain or dyscomfort. Usually my patients leave with much improved symtoms and a feeling of satisfaction.

I think, the world should know about this! And put the true acupuncture into perspective.

トーマス鍼灸院の資料館

トーマス鍼灸院の古い資料館 から

この資料館はちょっとした「お化け屋敷」のようだ。ここに集めた古い記事は殆ど今の新しいHPに「相応しくない」と言われたものばかりですが、私の考え方、私の言葉で表現している。相応しくないかもしれないが、過去にこちらの意思表現したものですので、捨てるのは勿体無い。未だ古い物を全部ここに掲載していない。時間があればその内に追加します。

PSE「法」についての意見

ファクス送信表  

トーマス鍼灸院 

宛先:          経済産業省、大臣官房広報室

用件:        PSE「法」についての意見

拝啓

  私は業者ではありません。上記の業種の職人に過ぎません(ドイツ人)。先日患者から来月に「PSE法」が施行される事を聞いて、その内容を調べたところでびっくりしながら立腹しました。多分世界のどの国で「こんな法律はどう思います」と聞いても「そんな馬鹿な」と返事するしかないでしょう。

 私は数が少ないが、時々オーディオ機器を中古で購入します。現時点使用している物の半数はそういった中古物です。どこにも問題ありません。そして(当然のこと)経済的の側面でも一々新品を買える余裕の無い者にとって中古品はどれだけありがたいか役所では理解出来ないのか、それとも使用としないのでしょうか。

 貴省が施行しようとしている「法律」は常識や庶民の意思に反してるのみならず、環境問題、地球温暖化などにも大いなる悪影響与える事になるのは避けられませんでしょう。完璧に作動する物は廃棄処分せざるを得ないからです。ただ「不要」となった物を粗大ゴミに出す事で済めばよいが、その廃棄処分はお金も掛かります。従って、その余計な費用を負担したくないが、引き取る者もいなくなるので今でさえ道路の傍、海岸や森に投棄されている物の数は増加されるは確かでしょう。

 貴省が「安全を確保するため」をこの法律の根拠とするのは良くても言い訳でしょう。何処かに問題があるようでしたら、それはそもそもメーカーが真ともな補修サービスを提供しないことでしょう。いい物を作って長く愛用されるためそれを何時までも修理できる(「古き良きものを大切に使う」)という本来の職人気質の精神はどうなりましたでしょう。この法律は日本の職人に恥をかかせます!

マイスター制度が800年昔から大切にしている国(ドイツ)のオーディオ機器愛好者より。  

Relaxation

これは大変頻繁に使われる言葉だ。映画で「リラクスしろ」も良く出るし、最近の「ヒーリング」ブーム関連で「リラクゼーション」が酷使される語句だ。

それはどう言うことか少々考えたい。

語源 ラテン語 relaxare より. (re-再び+laxare ゆるめる、例えば英語では 「laxative」 は下剤の事を指している). 要するに意味は …をゆるめる, 和らげる(他有り)。

つまり、本来は「lax=ゆるい」であったものは何かの加減で「緊張」してしまった。「re-再び+laxare ゆるめ」ない限り肩凝り、頭痛、不安感、目の疲れ等など多彩な症状がでる。

図1    人形をもって体の神経支配を立体的に表現する人形(humunculus)

人体の外側にある筋肉、つまり骨格筋は例外なく「随意筋肉」と呼ばれ、理論的頭の命令通りに働くはずだ。ならば「リラクスしろうよ」と頭で命令すれば体の緊張が緩むはず。肩凝りなんて問題どこにもない!

しかし、そう上手くはいかない。動物や人間の赤ちゃんは簡単にリラクスは出来るが、通常の人は一苦労せざるを得ない。動物の場合「活動・狩」などを行わない限りのんびりと構えている。人間の赤ちゃんは安心した状態にあると自分の体を完全他の人に任せてリラクスする事ができる。赤ちゃんを抱いたままで寝てしまうと突然ぐっと重くなることがある。その際全身の筋肉の緊張が一気に緩む。

詳細の説明は非常に長くなるから少々省くが、上記の「一苦労」の一つの原因は現代社会がもたらしている「頭でっかち」であり、要するに頭ばかりを使って、体を使ったり,感じたりしない(病気以外)事にあるでしょう。

肩凝り等で悩んでいる人がいるとすれば、本来自分の意志で肩の筋肉をリラックスさせればよい。理論的に可能なことだが、どう言う訳か出来ない。なら何が出来るのか。

 図2    脳の断面図で脳内の(運動)神経領域を表すイラスト

こちらも詳細のことを省かざるを得ないだが、人間の「神経支配」を少々考えてみると閃かれるかもしれない。知覚神経(ものを感じる神経)及び運動神経は両方とも均等的体中に「配線」されている訳ではない。顔、特に唇と舌や手の先では他のところに比べて非常に密集している(イラスト1と2はそれを表現している)。そう言うわけで赤ちゃんは先ず何でも口に入れて、そしてもう少し成長したら、何でも「手にとって把握(=理解=ドイツ語では“begreifen“)使用としている。唇や手から大変多くの情報が脳へ伝わる半面に、この部分の制御(運動機能)も極めて綿密だ。

肩を選択的に「リラックス」出来ないかもしれないが、細いに制御できる手指を意図的にリラクスする事は少々の練習で可能になる。そしてその感覚を覚えていけば力を抜く範囲を段段と広げて肩や他の部分まで波及させることは決して夢ではない。リラクゼーションも訓練が必要だ。

日頃ちょっとした時間あれば、一息をして、楽に座るようにしておいて、頭の中になるべく大きいものを描いて、そして自分の指に(拳骨という関節より先)に集中して貰いたい。指一本ずつ反対の手で持ち上げて、力を抜いて、指を重力に任せて下落させる。全ての指に繰り返す。目的は指を上げた後離したとき=解放したリラクゼーションだ。指は下ろすよりも指が「落ちる」感覚を覚えてもらいたい。患者を診て手が「緊張している」人は実に多い。このような患者の殆どは手が緊張しているだけではなく,全身に緊張しているひとがおい。たんなる肉体的緊張で止まらず、精神的の「緊張」とそれに伴う精神症状を呈することはどちらかと言うと「普通」。その緊張を指から自分の意志で抜く技術覚えておけば、少しずつ体の他の部分まで応用出来るようになると信じる。説明は極めて短いで短絡的ですので、私は言いたい事が通じるようでしたら嬉しい。(何時かもと詳しく書きたいが・・・)

図3    こんな光景を描いて心広く緩やかにする

「性」とは社会的、文化的、歴史的など多方面から影響または制限を受けている。場合によって「語るべからず」 (taboo) ものでもある。しかし、「性」無しでは「人間」を語れない。

人間と動物の違いは上記の社会、文化、歴史、教育や宗教的要素にはある。「性」の刺激を受けてもそれに直接対応する行動をとらない人(つまり日常生活では大半の人々)は長い教育課程で「無理やり」に身に付けた「自制」を効かせている。

実際に男女は絶えずお互いに性的刺激を送信する事はそれより遥か昔から存在するシステムであり、全ての文化、教育や宗教より根が深い。

どれ位か?地上に多細胞生物が現れているから、それらの生物の殆どは雄-雌に分かれて繁殖する。そして繁殖は無論その種の存続のためである。

女性の真っ赤な唇(口紅を付けるのは只の流行ではない!)、体曲線が自然と目立っていた上に服装で強調し、製薬会社がちゃんと性的刺激物と添加する香水を付けると、「自動的」に男性を発情させる「繁殖力有り」と言う刺激を送信する。当然男性は「自動的(無意識に)スヴィチ」が入るようにプログラムされている(遺伝子が作動する)。人類の祖先時代以前から!

男性の場合逞しい姿や豪華そうな服装 / 振る舞い / 持ち物(例えば車)を披露することにより女性も「自動的(無意識に)スヴィチ」が入る。動物の世界と全く同じ仕組みですが、人は動物や昆虫と「同じ手」を使って異性に性の暗号を送信すると指摘すれば大抵怒られる。

しかし、「とんでもない!そのつもりではありません。」と言っても事実は消えない。「性的スヴィチオン」パターンで毎年軍事予算を遥かに上る売上をもたらすビジネスもある:ファションだ。歴史的変化があったとしたら、その際何かの形で背景には男女関係があったと推測する。

「性」は生物にとって固体の生存意志に続いて二番目強い力はである。この多大な力はあらゆるものに注ぎ込むことができる。活動の動機は大半この「性」にあることを認識し、この力をcreatively (独創的)and productively(有意義的) 利用すれば、世の中は随分明るくなると確信している。

患者様 ・・・

この言葉は最近流行っているように見受けるが、どうも「腑に落ちない」。
* 「腑」は無論五臓六腑の「腑」であって、飲食物が臓器の働きによって「腑に落ちる」=消化されて伝播される。転じてある概念/思考などを十分理解しない/出来ない場合それが「腑に落ちない」。
私は「患者様」と言う表現が「腑に落ちない」。十分理解出来ないし、その使い方にも賛同出来ない。

患者は 「患っている者」であるのみ。
同じく医者は「医者様」ではない!
私の好きな言葉:「医は病を治す工である」(出典不明)
医も患者も普通の人間だ。神様、上様、殿様類ではない。
「医は病を治す工である」 - 私もその通りだと思う。
ならばその延長線で「大工様」で言う?言わないはず。
「八百屋様」???変だ。
お客様 - ま、時代の流れにてそれは何とかなれている。

当然ここに「あからさま」になっている「有様」は日本の社会に於ける上下関係だ。
「上様」では文字でさえそれを指している。
お客様はお金を使って自分の店の商品/サービスを購入するからある程度の「見上げるありがたい存在」かもしれないが、「患っている者」「病を治す工である=医」は先ず同等の人間同士である。適切な「治療」を可能にするため不可欠の信頼関係/人間関係は酷く上下の勾配に影響されると関係者の両方とも酷く歪んだ世界観で正しい見方=判断できなくなってしまうだろう。

時代とともに言葉の意味や使い方が変わってしまうのは承知の上だ。
例えば「貴様は何を考えているか」(今、私の発言に対してそう思う人もいるに違いない)と聞くと今日現在では余りいい気分ではないだろう。

き_さま【貴様】→♪[0](代)二人称。(1)男性がきわめて親しい同輩か目下の者に対して用いる語。また、相手をののしっていう時にも用いる。おまえ。「―とおれとの仲ではないか」「―それでも人間か」(2)目上の者に対して、尊敬の意を含めて用いる。「―は留守でも判は親仁の判/浄瑠璃・油地獄{下}」「(髪ナドヲ)―ゆゑに切る/浮世草子・一代男{四}」〔中世末から近世初期へかけて、武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後、一般語として男女ともに用いるようになったが、近世後期には待遇価値が下落し、その用法も現代とほぼ同じようになった〕

私は患者は患者だ。
患者様ではない。
気をつけないと患者様は治療の妨げになり得るのではないか・・・

「秘密に取り扱って ・・・」

そう依頼することは頻繁にあるが、それは例えば特許であれば・・・ 原文が「特許公開広報」である。つまり「公開」=「皆に見せます」って言う事。既に公に公開されている。全世界の人はこの文章を見られる。いや、逆に出願者は見て欲しい。じゃないと他の特許権との問題が発生するかがわからない。それを「秘密に取り扱って ・・・」と翻訳会社から依頼されてしまうのは今風の「個人情報保護」パラノイアの延長線でしょうが、どれほど矛盾している/無意味である事が誰も気が付かないのでしょうか。

観光案内なども似たものだ。作成者も利用者もなるべく多くの人々に見て欲しいだろう。なのに「秘密に取り扱って ・・・」

その秘密妄想はもう一度考えた方が良さそうですね・・・