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外人とよそ者

私は紛れもなく「外人」です。

しかし、既に24年間日本に住んでいるのでそのことを時々忘れることもある。正確に言えば「外国人」、つまり他の国から来た者ですが、一般庶民は通常「外人」と言うでしょう。それは要するに「そとのひと」、「よそもの」、場合によって「怪しいもの」を意味する。  

ここに面白いものが出てきた。私は今凡そ13―14年間葉山町に住んでいる。葉山町は本来文字通り緑や自然の多い小さな漁村でした。しかし、最近の「開発」ブームによって建築業者はまるで発狂したように多数の建築プロジェクトを複数のロケーションで進行する。恐ろしい勢いで増え続けているマンションなどが怪物のように町を食べてしまうように見受ける。それは開発ではなく、「破壊発」です。  

同時に、当然のことでしょうが、多数の「よそ者」が町に住み着いてくる。特に新しいマンションのようなものに住み始める人は近所や町内会と関係なく生活するので、折角の温かい小さい町では誰がどこに住み、何をしている事が分からなくなり不安が生じる。(私だけではなく、特に長い間この町に住んでいる方々がそう言う。)

元々毎年ごみの山を残して去ってしまう夏の観光客(よそ者)が嫌う外人として、町が多数のよそ者で溢れることどうしても気持ちよく受け入れることが難しい。自然を破壊し、土地や社会の「癌」のように広がる「開発」を黙って見ていられないため、先日葉山町町長に以下の手紙を出した。

 

自転車: 地球のため − 時によって命懸け

 地球温暖化、排気ガス、騒音、渋滞・・・ それは車社会の遺産だ。本来町の中に移動するには自転車は十分。私は便利で健康にも良い

 以下の願い事出来る限り多く自分が自転車で走る人、その家族の方や自動車を利用する方に伝えたい。

 

自転車編 私は自転車が大好きです。でも自転車にも守るべきルールがある事を知らないか知りたくない人が多いから困ってしまう。日本は左側通行なのに平気右に走る人がいる。そう言う人がいれば左側に走る私は車道の中央へ逃げないといけないが、それで後ろから来る車に衝突される危険に晒される車もどの車線でも結構と言うわけではないので自転車を乗る人もちゃんと左側に走って欲しい。それから、曲がる時、路地から出る時、交差点を渡る時:周りの状況を良く見てから進む。全く何処にも見ない人は案外に多いようだ。突然路地から出てしまう人がいれば走行中の私は瞬時に自転車を止められないから追突する可能性が高い。

 忍者の出る幕は違う。毎日夜走っている時ぶつかりそうな者がいる。それは自転車にライトを付けていない上、灰色や黒ぽい服を着て闇の中に自転車で走ったり、あるいはそう言う服装で歩いたりする者だ。街灯の少ない場所では実際接触する寸全まで殆ど見えない。お願いです:自転車乗る人前と後ろに電気を付けて下さい!それは自分が道路を良く見るためではなく、他人に良く見られるためにある。

 買い物も至難の業になる。小学の低学年生だったらまだ分かるが、成人も頻繁に自分が用ある店の真前に自転車やバイクを置いてしまう人も驚くほど多い。自分だけは便利かもしれないが、他人はその店の出入りが妨げられてしまう事理解して欲しい。

 

自動車編 】 道路において優先権は車輪の数と車体の重量によって決まると勘違いする人がいる。相手はただの自転車ですから車は無理やり交差点で曲がったりして、止まらず路地から出るなどは先ず危険で、そして基本的交通違反でもあるはずだ。相手は自転車でもちゃんと見て欲しい。冒頭にある写真は事故の為肩関節の靭帯が切れ、手術して(私の)肩関節を金属部品で固定示したものだ。直進走行中に追い越された車がまだ追い越しきれないうちに左折した為急ブレーキを掛けて転倒するようになった。結果はご覧の通り。しかもそれは珍しいものではない。過去一年では類似の場面を少なくとも5−6回に直面した。そう言う車の運転手に考えて貰いたい事は:その時相手は自分の奥さんや子供だったらどうでしょう。とにかく良く見て欲しい、前方、後方(ミラー)そして横に関して首を振って直接見ないと斜め後ろに何があるかが分からない(自動車学校で習った筈)。

 車を運転する人のうちに落ち着かない方も多いですが、交差点のところ歩行者や自転車を先に行かせても目的地に着く時間が秒単位にしか変わらないはずだ。それに、特に夏の間、道路が多少混んでいる時町内に走る分に関して自転車より早くなる車は殆どない!反って自転車のほうがスピード違反につかまる可能性がある。

 また時代の流れかもしれないが、携帯電話を掛けながら運転する人が非常に多い。自分は大丈夫だと思っているらしいが、自転車を乗る人の立場から見ればそれはとんでもない勘違いだ。ある時真っ直ぐの一本道を走って、対向車が走行中段々こちらの車線に向かって来た。最終的に歩道に乗り上げて逃げる必要があった。通り過ぎる車の運転手は携帯電話で夢中になって、自分が完全反対車線まで侵入した事気づかなかった。危ない!!!

 自転車は静かで、環境に優しい、健康にも良い。それを安全で楽しく走る環境は町民の皆様で作るしかない。しかも走るのは私のような長年自転車の経験ある成人のみではない。子供や老人も自転車を乗っている(右側に走って赤信号で交差点を渡るお母さんたち:子供は見ているよ!)。道路は狭くて、ちゃんと出来た歩道や自転車専用の「車線」がない事変えられないにしても、運転手のマナーや配慮は改める余地あるでしょう。上記の項目は全て常識で当り前の事のみだが、是非とも安心して自転車で走る町を作る事にご協力ください。

 

 葉山町の町長殿  

これは町長宛のオーペンレターでした。数年前に。

町名の変更

葉山」 を 「コン山 (コンクリートの山) へ

私はも10年以上葉山に住み、本来この町大好きでした。文字通り、輝く海に面して緑の山々な町でした。都会嫌いな私にとっての楽園でした。

しかし、最近はどうでしょう。

今何年の間に町中に多数のマンションを建設されました。そのいずれも町民の反対の声を無視している上に、当然のように大規模な自然を破壊しました。今度元町に7階のビルが建設が始まりました。高層ビルの建設を制限する法律が12月に施行される予定ですので、急いで11月で着手する手際に感服しかありません。

以前緑豊かの町はその他でもまるでカビのように生えてくる団地(住宅地で密集する個人宅)埋め尽くされます。子供達の遊び場所は勿論なくなるし、町並みは古代ギリシャ神話や西部劇場からコピーしたのような建築物で完全に蒸発してしまいました。

 このような建築ブームは開発と名づけられていますが、

 これが破壊」発と言うべきでしょう。

そして今までの発展と現在進行中の計画を見ますと、その結論は明らか:

町を破壊することは大成功でした。

 

 外国人は日本について情報を収集しますと(観光ガイド等)「日本人は自然を愛し、日本の文化(ここ特に町作り/建築)は自然との調和を目指す」というようなイメージは世界に向けて発信されます。

 もしそうであるならば、日本人としてこの町の「破壊」発でよくも恥ずかしくないと私は嘆息せざるを得ません。ここに日本の文化が好きですから来日した私個人の意見(これもまた無視されるに違いありません)しか表現出来ませんが、同感する人恐らく大勢います。

 

追加:

湘南国際村も上記の「破壊」発の象徴的な例です。

これが「国の癌」と称すべきしかありません。

「癌」と言う言葉は古代ギリシャのヒポクラテスによります。女性患者に大変進行した乳癌を見て、中心の腫瘍部から周りに浸潤する組織や拡張した血管は胸に蟹が座ったように見えたようですので「カニ」=cancer () と名づけました。

 本来山があった所に、今「村」となっている腫瘍部から四方八方に建設される道路を飛行機から見れば、いかにも「癌」のように見える筈です。そして、当然そこに建設されている建物は30年後世界遺産と指定された伝統的な日本建築物と違って「立派」や「素晴らしい」などと言われる見込もありません。

 

自然の「破壊」発が確実に進んでいます。

これを許可する人、つまりあなた(代表)、の責任が問われます!

一旦無くなった(絶滅)した物は「帰らぬもの」です!

 

日本の文化や自然の消滅を嘆く悲しむ外国人より

 

 

日本医師会への手紙

⇒ ⇒ ⇒  (以下の文章を出してから何年が経って次の文章をだして、相変わらず医師会は返事する必要性が認めないらしい・・・ こちらへ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 

この文章を出してから2ヶ月 − 反応はありません。

安心できない!!!

先日病院に行ったとき日本医師会が発行した冊子を頂いた。そのタイトルは「国民が安心できる・・・」と始まる。私は税金も国民健康保険も払っているので、私もその該当者になると信じている。しかし、現在の医療はとても安心して受けられないと思っていますので、日本医師会の会長宛以下の文書を郵送しました。

何かの形でお返事を期待しています。

もし、返事がありましたら、この文書のあとにつけます。

・・・・・・・

日本医師会

坪井会長殿

 突然にお便りを差し上げて大変申し訳ありません。先日病院で日本医師会が(20014月)発行している「国民が安心できる」と言うパンフレットを頂いてからどうしても個人的な意見を表現する他、少々の不満を訴えたいと思います。

 これで先生がページ13に「是非、ご意見をお聞かせください。」書いてある招待に答えます。

 私は神奈川県三浦郡の葉山町で鍼灸院を経営しているドイツ人です。トーマス フラーゼイェービッツと申します。

私個人として(鍼灸や東洋医学関連や他の団体の代表としてではありません)貴団体にご連絡をさせて頂きました。「一人の個人」に過ぎませんにしても、先生の反論、又はコメントを正式に要求したいと存じます。

  さて、早速本題に入りたいと思います。

「国民が安心できる」とパンフレットで主張されていますが、それは多いに希望的観測が含まれる非現実的な概念だと思わざるを得ません。このパンフレットに書かれている事を全て否定はしませんし、又は「なるほどそうか」と思わせる部分も決して少なくありません。しかし、以下私は個人的の批判を述べさせていただきます。 

先ず、ページ33つの優れている特長」を見ます。国民皆保険体制と言う概念には全く依存ありませんが、その次にあげられている「安定感のある方式」には問題あります。私の収入(自営業)各何年間の間に減りつづけているにも拘わらず保険料が絶えず高くなり、そして強制的新たな保険料(介護保険)が上乗せられました。更に新しい「保険料」が考案されるまで単に時間の問題でしょう。私は子供が4人もいますので、其の保険料と医療費の自己負担は決して「安い」とは言えません。どちらかと言うと「病気になっていられません」と言う状態です。

 そして、「質のいい医療が受けられる」と言う事ですが、日本には「いい医療」受けているとはとても思えません。ご存知のように通常の診察は23分で終ってしまいます(初診のときも!)。その診察にあっている医師は超人で無い限り質のいい医療を施せ無いはずです。例をあげます。

1. 例えば、ある患者は以前から腰から脚にかけている痛みを訴えましたが、狭心症で一時的入院しました。そこで心臓を専門とする内科の先生は主治医としての他に、脚の痛みのため整形外科の先生も診察しました。その一ヵ月後私は初めてその患者の所へ往診しました。触診によって即に脚の痛みが「腰のせい」ではない事を判明しました。腹部に拳大の腫瘍がありました。内科の先生も整形の先生も自分の管轄範囲外ため腹部を触診しなかったそうです。(すれば必ずあな腫瘍を見つけるはずでした。)

      私は現在6年間を開業しているが、数の非常に少ない来院する患者の中に、上記のような患者既に少なくとも3人いました。いずれの患者は同時に「高度医療」を施す医療施設に受診しました。

2.        先日75歳の女性の新患が来ました。初診時に腕の痛みと挙上不能を訴えた他に、罹患の上腕部に1っ週間程前と推定される内出血が見られました。問診と触診の結果として私は「筋肉の少なくとも部分断裂」と判断しました。念のためx-線写真とるため患者を整形外科に受診させました。整形の先生は「石灰沈着のため血管が切れた」と判断し、局部注射と内服薬及び湿布で構成されている治療を開始しました。数回治療した後に効果が全く見られませんのでMRIを撮り、後ほど専門家に読影してもらいました。診断:肩板損傷症。しかも、前方挙上不能のためこの判断が少々疑わしいと思います。いずれにして専門家であるはず整形外科の先生は治療に戸惑い、高価の検査方法を利用しない限りに「診れば分かる」と言うものが分からない事は決して「いい医療」とは言えませんでしょう。

 似いている例を永遠に羅列できるでしょうが、それはこちらの目的ではありません。私は言いたい事が十分伝達されていると思います。

 尚、その3つ目「保険書を使って、何の制限も受けずにどこの医療機関でも、どのお医者さんにでも自由に診てもらえて治療が受けられる」。これは私の立場から見て随分失礼な事だと思います。

医師の選択に関しては問題ないかもしれませんが、保険書を使って例えばお産の費用は対処外となります。そして整骨院では保管が使えるのに鍼灸院では使えません。これはどう言う事でしょうか。

 その他、ページ5に書かれている「老人医療費の増大」も決して運命ではありません。上記にあげました「2分診察」では肉体と精神的な問題にどうにも対応できません。結果として無意味に毎日「病院通い」する事は、医療費の増大ではなく、医浪費の増大である事が間違いありません。

 結論としてページ13に書かれている「安心して子供が産める社会、老後の生活に不安がない社会をつくるため・・・」に対しても簡潔な反論を加えたいと思います。

第一、 とても安心して子供産める国ではありません。乳幼児死亡率が低いかもしれませんが、お産自体が非常に高価だけではなく、その後子供に関して発生する費用は、先ず子供を産まない決意を固める一方でしょう。

第二、 現時点かろうじて支払っている国民年金料では、既に崩れ始めている保険、介護や年金制度を考えると、世界一高い国では安心して老後生活を送れる事はとても考えられません。

 

 最後にお詫びします。通常の日本語、敬語ともに大変未熟なため、恐らく多数な個所で失礼な発言になりました事に違いありません。どうかお許しください。

 先生(又は医師会の)のご返答が心から待ち遠しいです。

  よろしくお願い申しあげます

 

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これに対して反応がありませんでしたので、もう一度坪井先生宛てに以下のような手紙を出しましたが、やはり「返事」はありません。一般庶民を相手にする先生ではないでしょう。

 

Dr. Tsuboi

            A little while ago I took the liberty to sent you my “opinion” regarding the April 2001 brochure “国民が安心できる” published by the Japan Physicians Association.

            In this brochure you encourage the reader to communicate his/her opinions to you. I did that, sending you a 5-page text in Japanese. This text is currently open to the public on my web page. In this text I did not only present you my opinion, but also asked at least one question.

 

I was always under the impression that it is common courtesy in the international community to answer when asked a question. Since you (that is the Japan Physicians Association) apparently does not care about what people think or to answer, I believe, I am free to cite this behavior of the Japan Physicians Association during a presentation on the coming Sunday (癌と鍼灸)or in other scheduled publications.

Thank you very much for your attention.

Thomas Blasejewicz

 

夏-電気不足-嘘

(この文章は東京新聞の投書欄に出ました。)

 最近毎日のように「電気不足」と言う表現を聞いたり、読んだりします。しかし・・・

昨日用事があって久振り東京に行ったらびっくりしました。渋谷、新宿などの商店街、デパート、個人の店やレストラン・・・見渡す限り軒並み表のドアや窓を全開しながら店内の冷房はフルパワーで稼動中です。ドアぐらいは自分の力開けたり閉じたりする事出来るでしょう。

 先進ヶ国の人口が全世界の人口の1/5程度でありながら、全世界のエネルギー消費の約80%を利用している事を考えるなら、商店街の店は人類に対すして限りなく無責任な行為を行いながら、自分たちはまだまだ足りないと騒いでいる姿見ていられません。まだ生まれてもいない孫に「どうして地球が破壊されたか」と聞かれたらなんと答えましょうか。

 

 

Natural

(こんな難しい話は私の言語能力で上手く表現できないから勘弁して下さい。)  

 「自然」も又非常に良く使われる言葉だが、私が知っている限りに明白の定義は無いようです。「人間の手がどこにも加えていない状態」を指している事が多い。その反対は通常「人工的」になるだ。しかし、それは観点によるでしょう。

例えばシロアリの塔は人間から見れば「自然」の出来事だ。蟻から見れば如何にも「人工的」と言うより「蟻工的」であろう。(因みに建築技術の面でシロアリの塔を蟻の大きさに比例でみれば、人工的な高層ビルの高さを100倍に相当するそうだ!)反面、蟻にとってコンクリートの壁はいかにも「自然」そのものな筈だ。

 当然「健康ブーム」や「エコ」の時代において自然は「善」の関係代名詞として使われる:豊かな自然、自然の恵み、自然食品、自然治癒力、自然の美、自然主義、自然科学等など。だが何でも善いと言うものはありえない。「人間の手がどこにも加えていない」のは自然であれば、地震、台風、津波、蝗の大群、ゴキブリ、ムカデ、蛇、夏の暑さ、冬の寒さ、ペスト、癌、AIDSなどは全て自然だ。

 豊かの自然から自分の都合の良いものだけを選んで、称えてしまうのも可笑しいし、その豊かの自然から遠慮なく恵みを頂き一方が以下にも不自然だ。人間も自然にお返しし – 自然に貢献しなければ不公平であり、肝心の自然のバランスが失う危険ある。

 東洋医学の発想はここに出番がある。東洋医学は良く「バランス医学」と呼ばれている。陽があるところに必ず陰もある、善悪の区別ではない。

 もし「自然」に惹かれるようでしたらその両面を認めて、全ての自然現象から何かを学べる事が出来るので感謝すべきのような気がする。皆悲鳴をあげている夏の暑さを含めて ・・・・・

 

 

患者様 ・・・
この言葉は最近流行っているように見受けるが、どうも「腑に落ちない」。
* 「腑」は無論五臓六腑の「腑」であって、飲食物が臓器の働きによって「腑に落ちる」=消化されて伝播される。転じてある概念/思考などを十分理解しない/出来ない場合それが「腑に落ちない」。
私は「患者様」と言う表現が「腑に落ちない」。十分理解出来ないし、その使い方にも賛同出来ない。

患者は 「患っている者」であるのみ。
同じく医者は「医者様」ではない!
私の好きな言葉:「医は病を治す工である」(出典不明)
医も患者も普通の人間だ。神様、上様、殿様類ではない。
「医は病を治す工である」 - 私もその通りだと思う。
ならばその延長線で「大工様」で言う?言わないはず。
「八百屋様」???変だ。
お客様 - ま、時代の流れにてそれは何とかなれている。

当然ここに「あからさま」になっている「有様」は日本の社会に於ける上下関係だ。
「上様」では文字でさえそれを指している。
お客様はお金を使って自分の店の商品/サービスを購入するからある程度の「見上げるありがたい存在」かもしれないが、「患っている者」「病を治す工である=医」は先ず同等の人間同士である。適切な「治療」を可能にするため不可欠の信頼関係/人間関係は酷く上下の勾配に影響されると関係者の両方とも酷く歪んだ世界観で正しい見方=判断できなくなってしまうだろう。

時代とともに言葉の意味や使い方が変わってしまうのは承知の上だ。
例えば「貴様は何を考えているか」(今、私の発言に対してそう思う人もいるに違いない)と聞くと今日現在では余りいい気分ではないだろう。

き_さま【貴様】→♪[0](代)二人称。(1)男性がきわめて親しい同輩か目下の者に対して用いる語。また、相手をののしっていう時にも用いる。おまえ。「―とおれとの仲ではないか」「―それでも人間か」(2)目上の者に対して、尊敬の意を含めて用いる。「―は留守でも判は親仁の判/浄瑠璃・油地獄{下}」「(髪ナドヲ)―ゆゑに切る/浮世草子・一代男{四}」〔中世末から近世初期へかけて、武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後、一般語として男女ともに用いるようになったが、近世後期には待遇価値が下落し、その用法も現代とほぼ同じようになった〕

私は患者は患者だ。
患者様ではない。
気をつけないと患者様は治療の妨げになり得るのではないか・・・

 

下記のファクスを「PSE法」の話を聞いて間もない「経済産業省」に送信しました。通常のメールにも送信しました。

「当然」何の返事も頂いていません。

ファクス送信表  

トーマス鍼灸院                         葉山町堀内815

電話/ファクス:046-876-3077 mail:tom@einklang.com / web site: www.einklang.com

宛先:          経済産業省、大臣官房広報室

用件:        PSE「法」についての意見

拝啓

  私は業者ではありません。上記の業種の職人に過ぎません(ドイツ人)。先日患者から来月に「PSE法」が施行される事を聞いて、その内容を調べたところでびっくりしながら立腹しました。多分世界のどの国で「こんな法律はどう思います」と聞いても「そんな馬鹿な」と返事するしかないでしょう。

 私は数が少ないが、時々オーディオ機器を中古で購入します。現時点使用している物の半数はそういった中古物です。どこにも問題ありません。そして(当然のこと)経済的の側面でも一々新品を買える余裕の無い者にとって中古品はどれだけありがたいか役所では理解出来ないのか、それとも使用としないのでしょうか。

 貴省が施行しようとしている「法律」は常識や庶民の意思に反してるのみならず、環境問題、地球温暖化などにも大いなる悪影響与える事になるのは避けられませんでしょう。完璧に作動する物は廃棄処分せざるを得ないからです。ただ「不要」となった物を粗大ゴミに出す事で済めばよいが、その廃棄処分はお金も掛かります。従って、その余計な費用を負担したくないが、引き取る者もいなくなるので今でさえ道路の傍、海岸や森に投棄されている物の数は増加されるは確かでしょう。

 貴省が「安全を確保するため」をこの法律の根拠とするのは良くても言い訳でしょう。何処かに問題があるようでしたら、それはそもそもメーカーが真ともな補修サービスを提供しないことでしょう。いい物を作って長く愛用されるためそれを何時までも修理できる(「古き良きものを大切に使う」)という本来の職人気質の精神はどうなりましたでしょう。この法律は日本の職人に恥をかかせます!

マイスター制度が800年昔から大切にしている国(ドイツ)のオーディオ機器愛好者より。