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ここに載せたい意見がありましたら ⇒   tom@einklang.com

ここ見に来てくれた事に感謝します。(ページの更新始めたばかりで近いうちにどんどんと書き加える予定) 

 

私は身の上話  で書いたように22歳の若さで日本に来た。現在55歳ですので、人生の半分以上日本に住んでいる。その内既に25年(?)余り葉山に済んでいる。そう言うわけで葉山は何となく私の「故郷」になったようだ。

思春期で一番好きな作家ヘルマンヘッセは自分の作品で「故郷は特定な地域ではない - 心が落ち着く場所と時間だ」と書いた。私は来日してから:東京(数週間)→鎌倉(約3年間)→横須賀(田浦、多分3-5年間)→葉山(町内で3回引越し;正確に覚えていないが凡そ25年間に住んでいる。余りにも長い間ここにいるから自分は - 外人の癖に - 「地元の人」と思い、観光客や最近住み着いた者を「よそ者」とみなしている。

そう言ったよそ者は「私の町」を汚したり(=観光客)、金持ちだから何でも出来ると思い込んで町/環境を自分の御殿で破壊してしまう、町の行政が余りにも出鱈目の事でよそ者の金持ちと同じような破壊を続けると私は心が痛む。

 

これ以下にの記入は以前のページからそのまま維持する。

新しい記述は下で加える。  

 

自然 - 建築 - 新生物

「自然」とは最近段々と多く耳にする言葉。無論、先に自然の美しさ、恵みなどはでる。地震、洪水などは「災害」とされているが、価値観なく自然の現象です。それを悪者にするのは人間の勝手です。この「自然」は言うまでもない地球全体のことを言う。地球全体は一つの巨大な生物であるという学説も今頃一般化されたでしょう(Gaia theory)。

一つの(多細胞)生物は大きさと無関係複数の細胞、組織、器官などで構成され、それぞれの部分は特定な働きがあるし、限られた機能(権限)がある。ある組織の細胞はその全体の秩序をやぶり、周りとの調和を乱し、単独に増殖し始めるとき、医学の専門用語では「新生物」と名乗る。通常別名の「癌」で呼ばれるものだ。

建築は上記のように地球全体が一つの生態であれば、その中に発達する組織や器官でありうるが、無制限に増殖する細胞のような特徴をもつならば、それは 「地域/社会/地球」 の癌に変身することになる。

周りの街づくりを眺めると、私個人ではどうしても人間の建築行動(特に最近の)、自然と調和とれた生態ではなく、悪性の新生物の増殖にしか見えない。

それは私の辺見/妄想なのでしょうか。

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私は「変な外人」しかないし、私の意見は決して誰か又は何かの代表ではないだろうが、今(大分前から)作っている町に関して私は大いに違和感がある。それを時々ここで愚痴を溢す形で表す。例えば略10年前に元町ユニオンの前にある川を挟んで作られた「高層ビル」。そのような建物を葉山町で作らないように法令が作られ、近所の町民殆ど反対しているにも拘わらず例の法令が施行される数日前(急いで)着工した。着工下うえではもう取りやめられないようだ。

似いたような「プロジェクト」は他にもあちこち存在/進行中。私には本来美しい漁村であった葉山町を無惨な姿に変えるつつある。

 

  1. 葉山町町長殿

  2. 森戸海岸に建てられたホテル

  3.  町並みは 地域 社会 のアイデンティティ

 

 

 

葉山町町長殿

(2002年町長宛のオーペンレターより)

町名の変更

葉山」を「コン山 コンクリートの山)へ

私はも18以上葉山に住み、本来この町大好きでした。輝く海に面して緑の山々な町でした。都会嫌いな私にとっての楽園 でした。

しかし、最近はどうでしょう。

今何年の間に町中に多数のマンションを建設されました。そのいずれも町民の反対の声を無視 している上に、当然のように大規模の自然破壊になりました。今度元町に7階のビルを 建設が始まりました。高層ビルの建設を制限する法律が2002年12月に施行される予定ですので、急いで11月中で着手する手際に感服しかありません。

以前緑豊かの町はまるでカビが生えてくる団地(住宅地で密集する個人宅)埋め尽くされます。子供達の遊び場所は勿論なくなるし、「町並み」は古代 ギリシャ の神殿造り、中世ヨーロッパ風の宮殿、西部劇場の映画セットや現代風と名乗って真四角の灰入るのコンクリートとガラスで出来ている建築物で完全に蒸発 してしまいました。日本風は何処にもありません。日本人は自分の2600年を誇る伝統的な素晴らしい建築技術(木造)及び優れたデザイン(日本建築は 自然環境と調和)の知恵を上記の物の為に棄ててしまうのは恥ずかしくないのでしょうか。

 このような 建築 ブームはで作られた物は関係者が開発と名づけられていますが、これが破壊」発と言うべきでしょう。

そして今までの発展と現在進行中の計画を見ますと、その結論は明らか:

町の破壊

 

  日本人としてこの町の「破壊」発でよくも恥ずかしくないと私は嘆息せざるを得ません。ここに日本の文化が好きですから来日した私個人の意見を表現するしかありませんが、 同感する人恐らく大勢います。

 

追加

湘南国際村も上記の「破壊」発の象徴的な例です。これが「国の癌」と称すべきです。

「癌」の語源は古代ギリシャのヒポクラテス にあります。女性患者も大変進行 した乳癌を見て、中心の腫瘍部から周りの組織 への浸潤や拡張 した血管は胸に蟹が座ったように見えたから「カニ」=cancer ()と名づけました。

  本来 山があった所に、今「村」となっている 腫瘍 部から四方八方 に建設される 道路を飛行機 から見れば、いかにも「癌」のように見える筈です。そして 現在そこにある 建物は30年後伝統的な日本建築物と違って「立派」や「素晴らしい」などと言われる見込もありません。

自然の「破壊」発が 確実に進んでいます。これを許可する人の責任が問われます!

日本の文化や自然の消滅を嘆く悲しむ外国人より。

 

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森と海岸に建てられたホテルに連絡した事ある - ホテルのHPから表現を引用する:

 貴社のHPにある「穏やかな海と深い森を湛える」場所から好きです。本来漁村のままであればなおさらに良いでしょう。鍼灸師として私は特に「自然」や「生態」等の概念に関して頻繁に考えるのは仕事柄でしょう。この立場からこそ貴社のホテルはこの葉山町の自然環境を少なくとも乱して、若しくは破壊している印象が極めて強いです。もし「calm blue sea and deep green forest」に魅力を感じるようでしたらどちらにも真四角の形態は存在していない事にも気づいていただければありがたい。貴社のホテルは真四角で灰色/黒、前面殆ど黒のものです。それは「blue sea and deep green forest」と調和する「本質を捉えたデザイン」と本当に信じているのでしょうか。日本の昔の建築巨匠の伝統と精神は何処に消え去ったでしょうか。海岸から見れば真四角の黒いコンクリートブロックは眼にも心にも痛々しく写ります。お客さんは中にいるから自分(ホテル)の姿が見えないで海の眺めを楽しめるため 町民はその何ともいえない姿を耐えなければなりません。

a sophisticated façade, that excites the adult sensibility」:私も一応「成人」のつもりですが、上記の通り私の「sensibility」はどちらかと言えば苦しめられています。車庫に並んでいる殆ど東京ナンバーの高級車でいらっしった方々のsensibility exciteするでしょうか。それともこの黒いコンクリートブロックは自然界と全く調和しないと言う事は感じないようでしたら残念の気持ちで嘆きたい。

 

世界 類の多くは、今や 機械 文明 というものに噛み殺される。

真の 文明 は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、

人を殺さざるべし」

中正

 

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町並みは地域社会のアイデンティティ 

 (飽くまでも個人的な意見)

町並 み」と言う 言葉 はよく聞きます。 自分 伝統 を忘れつつある 現代 日本 社会 ではそれを „My town“ と呼ぶ人々も少なからず。旅に出かけて「あの町の 町並 みは綺麗ですね」とか「あの町の 町並 みを見るとほっとする」などの 表現 頻繁 に耳にするし、 自分 でも使います。 都会 の嫌いな私には 最近 葉山町におきる 変化 を見ると悲しくなります。ここで 読者 大変 申し訳ありませんが少々 愚痴 を溢したい。

 この「 町並 み」は 辞書で見ると「町の道筋に人家 が建ち並んでいる様子。また、そのところ。」と書いてあります。又は〔 動詞 「なむ(並)」の連用 形 から〕(1 世間一般にごく普通であること。

  町並 みは、特に 本来平凡の漁村であった葉山町、ある 一定スタイル、雰囲気、そこに住む人々の「共同表現」として捉えたい。その思考に基づいて「地域社会」が成り立ってくるではないかと思う。日本に於いてその地域社会単位は他の国よりも 綿密に出来ている感じもするし、 日本文化の正体 =ルーツ=根でもある。「元町」= 地域 の「根本、中心 」であり、 住民の原点となる。英語ではこの地域社会は”community”と言い、”common” 共通の,共有の, 共同)と言う意味から由来 する。 同様な意味はcommon placecommon senseunite, unity等に見られる。

 しかし、 最近の町並みはそのような役割 を果たしていないような気がします。「並」は「個人主義」の「波」に飲み込まれ、立ち並んでいる家、特に最近出来ている物はどこの 時代やどこに由来が不明で、本来開放感や通気性を確保するための窓はどちらかと言うと要塞の???に似て来た。開け閉めは出来ないものも多いので、適切に「羽目殺し」となっている。窓が殺された。

  日本の長い歴史を通じてこの国の 気候 1)に合う 建築 、そしてそれを支えてきた世界最高峰の技術を持っていた日本 の大工さんは何処風が分からない技術を要しないプラスチック素材 組み立て式の 犠牲 となってしまった。だ暴走はそこ止まらない。「開発」と名乗って町中それこそ「日本」と連想させないマンションが次々と建築される挙句の果てに葉山町らしく狭い道路は高速道路のように広げる計画が実行に移されてきた。

 

右に写って新築の家の壁に幾つかの「穴」があいているが、それは私の感覚では「窓」とは言い得ない。大きく開けて、日本の気候にあった形で風通し良くする事もできないし、掃除するのも至難の業でしょう。そして人間を歓迎するような friendly な窓(右上)よりも「銃眼」のように見える。

日本の伝統的な家作り(左上)なら、この国の気候にあった、極めて機能的且つ美しい「和風スタイル」はあったのに!

 

  日本の文化や伝統を憧れる私にはこのような動きは残念でならない。元々日本人ではないので 本来 意味 でここは私の「故郷」ではないかもしれないが、所謂心の故郷であった:小さくて、謙遜な庶民的な町。この心の 拠点にあった自分 の「ルーツ=根」が失いつつある事を感じるのは私だけでしょうか。英語では自分の故郷を無くしたことはいかにも”uprooted”と言う。偶然 か。 

   

1)  日本 気候 文明 に関して 清水 馨八郎の「 日本 文明 真価 」は 参考 になる。

 

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ここから新しい記入:

 
観光シーゼン・・・環境客は地元のお店などにお金(飯の種)を運んでくれる事に関して感謝しなければならならいだらう。 しかし、そのような観光客はマナーも常識もない、行儀が悪いし、町全体をゴミで埋めてしまう。程自分達がワショイワショイと運んでくれた飲食物などの残骸を文字通り「山積み」になって、風やカラスなどで当たり前面に撒き散らされる。

右に見えるゴミ・・・コンベニでコンロを買って、海でBBQを楽しんだ後でゴミとコンロを丸ごとを残してくれる。

それはだれかあの連中の家のまん前にやればどうなるだろう。

所々で小さな神様は地域を静かに見守ってくれる。

ワーワー騒ぐよそ者と違って。

日本人はこの静かな気持ちを取り戻して欲しい!私は日本がが「時代の流れ」にそれこそ流されてしまっているから、周りに何が起きているかが見えなくってしまったような気がする。

現代人は何でも物事を素早く片づけてしまわないと、何か損をする、
つまり、時というものを無駄にして、損をしたなどと考えるようだが、
では、現代人が得をしたと考える時をいったいどうするのかと言えば、
それを無駄にする以外に何ら方法を知らないのである。
Erich Fromm ( エーリッヒ・フロム : 1900-1980 )
ドイツ生まれのアメリカの精神分析学者

漁村から「高級リゾート地」へ