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このページの記事: 

  1. 自然 - 建築 - 新生物

  2. 葉山町町長殿

  3. 森戸海岸に建てられたホテル

  4.  町並みは 地域 社会 のアイデンティティ

  5. Hayama Life – 異国人の異見

  6. 記入と写真 作業中・・・

 

 

 

ここに載せたい意見がありましたら ⇒   thomas-pe@s7.dion.ne.jp

ここ見に来てくれた事に感謝します。(ページの更新始めたばかりで近いうちにどんどんと書き加える予定) 

 

私は身の上話  で書いたように22歳の若さで日本に来た。現在61歳ですので、
人生の半分以上(38年)日本に住んでいる。その内既に30年余り葉山に済んでいる。
そう言うわけで葉山は何となく私の「故郷」になったようだ。

思春期で一番好きな作家ヘルマンヘッセは自分の作品で
「故郷は特定な地域ではない - 心が落ち着く場所と時間だ」と書いた。
私は来日してから:東京(数週間)→鎌倉(約3年間)→横須賀(田浦、多分3-5年間)→
葉山(町内で3回引越し;正確に覚えていないが凡そ30年間に住んでいる。
余りにも長い間ここにいるから自分は - 外人の癖に - 「地元の人」と思い、
観光客や最近住み着いた者を「よそ者」とみなしている。

そう言ったよそ者は「私の町」を汚したり(=観光客)、金持ちだから何でも出来ると思い込んで
町/環境を自分の御殿で破壊してしまう、町の行政が余りにも出鱈目の事で
よそ者の金持ちと同じような破壊を続けると私は心が痛む。

 

私は「変な外人」しかないし、私の意見は決して誰か又は何かの代表ではないだろうが、
今(大分前から)作っている町に関して私は大いに違和感がある。
それを時々ここで愚痴を溢す形で表す。例えば略10年前に元町ユニオンの前にある川を挟んで
作られた「高層ビル」。そのような建物を葉山町で作らないように法令が作られ、
近所の町民殆ど反対しているにも拘わらず例の法令が施行される数日前(急いで)着工した。
着工下うえではもう取りやめられないようだ。

似いたような「プロジェクト」は他にもあちこち存在/進行中。
私には本来美しい漁村であった葉山町を無惨な姿に変えるつつある。

 

 

これ以下にの記入は以前のページからそのまま維持する。

新しい記述は下で加える。  

 

自然 - 建築 - 新生物

「自然」とは最近段々と多く耳にする言葉。無論、先に自然の美しさ、恵みなどはでる。地震、洪水などは「災害」とされているが、価値観なく自然の現象です。それを悪者にするのは人間の勝手です。この「自然」は言うまでもない地球全体のことを言う。地球全体は一つの巨大な生物であるという学説も今頃一般化されたでしょう(Gaia theory)。

一つの(多細胞)生物は大きさと無関係複数の細胞、組織、器官などで構成され、それぞれの部分は特定な働きがあるし、限られた機能(権限)がある。ある組織の細胞はその全体の秩序をやぶり、周りとの調和を乱し、単独に増殖し始めるとき、医学の専門用語では「新生物」と名乗る。通常別名の「癌」で呼ばれるものだ。

建築は上記のように地球全体が一つの生態であれば、その中に発達する組織や器官でありうるが、無制限に増殖する細胞のような特徴をもつならば、それは 「地域/社会/地球」 の癌に変身することになる。

周りの街づくりを眺めると、私個人ではどうしても人間の建築行動(特に最近の)、自然と調和とれた生態ではなく、悪性の新生物の増殖にしか見えない。

それは私の辺見/妄想なのでしょうか。

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葉山町町長殿

(2002年町長宛のオーペンレターより)

町名の変更

葉山」を「コン山 コンクリートの山)へ

私はも18以上葉山に住み、本来この町大好きでした。輝く海に面して緑の山々な町でした。都会嫌いな私にとっての楽園 でした。

しかし、最近はどうでしょう。

今何年の間に町中に多数のマンションを建設されました。そのいずれも町民の反対の声を無視 している上に、当然のように大規模の自然破壊になりました。今度元町に7階のビルを 建設が始まりました。高層ビルの建設を制限する法律が2002年12月に施行される予定ですので、急いで11月中で着手する手際に感服しかありません。

以前緑豊かの町はまるでカビが生えてくる団地(住宅地で密集する個人宅)埋め尽くされます。子供達の遊び場所は勿論なくなるし、「町並み」は古代 ギリシャ の神殿造り、中世ヨーロッパ風の宮殿、西部劇場の映画セットや現代風と名乗って真四角の灰入るのコンクリートとガラスで出来ている建築物で完全に蒸発 してしまいました。日本風は何処にもありません。日本人は自分の2600年を誇る伝統的な素晴らしい建築技術(木造)及び優れたデザイン(日本建築は 自然環境と調和)の知恵を上記の物の為に棄ててしまうのは恥ずかしくないのでしょうか。

 このような 建築 ブームはで作られた物は関係者が開発と名づけられていますが、これが破壊」発と言うべきでしょう。

そして今までの発展と現在進行中の計画を見ますと、その結論は明らか:

町の破壊

 

  日本人としてこの町の「破壊」発でよくも恥ずかしくないと私は嘆息せざるを得ません。ここに日本の文化が好きですから来日した私個人の意見を表現するしかありませんが、 同感する人恐らく大勢います。

 

追加

湘南国際村も上記の「破壊」発の象徴的な例です。これが「国の癌」と称すべきです。

「癌」の語源は古代ギリシャのヒポクラテス にあります。女性患者も大変進行 した乳癌を見て、中心の腫瘍部から周りの組織 への浸潤や拡張 した血管は胸に蟹が座ったように見えたから「カニ」=cancer ()と名づけました。

  本来 山があった所に、今「村」となっている 腫瘍 部から四方八方 に建設される 道路を飛行機 から見れば、いかにも「癌」のように見える筈です。そして 現在そこにある 建物は30年後伝統的な日本建築物と違って「立派」や「素晴らしい」などと言われる見込もありません。

自然の「破壊」発が 確実に進んでいます。これを許可する人の責任が問われます!

日本の文化や自然の消滅を嘆く悲しむ外国人より。

 

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Scapes

 森戸海岸に "Scapes" と言うホテルが建てられた後に、そのホテルに連絡した事ある。ホテルのHPから表現を借用する:「穏やかな海と深い森を湛える」のような場所が好き。本来漁村のままであればなおさらに良いでしょう。鍼灸師として私は特に「自然」や「生態」等の概念に関して頻繁に考えるのは仕事柄でしょう。その観点から貴社のホテルは葉山町の自然環境を少なくとも乱して、若しくは破壊している印象が極めて強いです。もし「calm blue sea and deep green forest」に魅力を感じるようでしたら、どちらにも真四角の形態は存在していない事にも気づいていただければありがたい。貴社のホテルは真四角で灰色/黒、前面殆ど黒のものです。それは「blue sea and deep green forest」と調和する「本質を捉えたデザイン」と本当に信じているのでしょうか。昔の日本建築巨匠の伝統と精神は何処に消え去ったでしょうか。海岸から見れば真四角の黒いコンクリートブロックは眼にも心にも痛々しく写ります。お客さんは中にいるから自分(ホテル)のが見えないで海の眺めを楽しめるため、町民はその何ともいえない姿を耐えなければなりません。「a sophisticated façade, that excites the adult sensibility」:私も一応「成人」のつもりですが、上記の通り私の「sensibility」はどちらかと言えば苦しめられています。車庫に並んでいる殆ど東京ナンバーの高級車でいらっしった方々のsensibility がexciteするでしょうか。それともこの黒いコンクリートブロックは自然界と全く調和しない事を感じないようでしたら、残念の気持ちで嘆きたい。

 

世界 類の多くは、今や 機械 文明 というものに噛み殺される。

真の 文明 は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、

人を殺さざるべし」

中正

 

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町並みは地域社会のアイデンティティ 

 (飽くまでも個人的な意見)

町並 み」と言う 言葉 はよく聞きます。 自分 伝統 を忘れつつある 現代 日本 社会 ではそれを „My town“ と呼ぶ人々も少なからず。旅に出かけて「あの町の 町並 みは綺麗ですね」とか「あの町の 町並 みを見るとほっとする」などの 表現 頻繁 に耳にするし、 自分 でも使います。 都会 の嫌いな私には 最近 葉山町におきる 変化 を見ると悲しくなります。ここで 読者 大変 申し訳ありませんが少々 愚痴 を溢したい。

 この「 町並 み」は 辞書で見ると「町の道筋に人家 が建ち並んでいる様子。また、そのところ。」と書いてあります。又は〔 動詞 「なむ(並)」の連用 形 から〕(1) 世間一般にごく普通であること。

  町並 みは、特に 本来平凡の漁村であった葉山町、ある 一定スタイル、雰囲気、そこに住む人々の「共同表現」として捉えたい。その思考に基づいて「地域社会」が成り立ってくるではないかと思う。日本に於いてその地域社会単位は他の国よりも 綿密に出来ている感じもするし、 日本文化の正体 =ルーツ=根でもある。「元町」= 地域 の「根本、中心 」であり、 住民の原点となる。英語ではこの地域社会は”community”と言い、”common” (共通の,共有の, 共同)と言う意味から由来 する。 同様な意味はcommon place,common sense、unite, unity等に見られる。

 しかし、 最近の町並みはそのような役割 を果たしていないような気がします。「並」は「個人主義」の「波」に飲み込まれ、立ち並んでいる家、特に最近出来ている物はどこの 時代やどこに由来が不明で、本来開放感や通気性を確保するための窓はどちらかと言うと要塞の???に似て来た。開け閉めは出来ないものも多いので、適切に「羽目殺し」となっている。窓が殺された。

  日本の長い歴史を通じてこの国の 気候 1)に合う 建築 、そしてそれを支えてきた世界最高峰の技術を持っていた日本 の大工さんは何処風が分からない技術を要しないプラスチック素材 組み立て式の 犠牲 となってしまった。だ暴走はそこ止まらない。「開発」と名乗って町中それこそ「日本」と連想させないマンションが次々と建築される挙句の果てに葉山町らしく狭い道路は高速道路のように広げる計画が実行に移されてきた。

 

右に写って新築の家の壁に幾つかの「穴」があいているが、それは私の感覚では「窓」とは言い得ない。大きく開けて、日本の気候にあった形で風通し良くする事もできないし、掃除するのも至難の業でしょう。そして人間を歓迎するような friendly な窓(右上)よりも「銃眼」のように見える。

日本の伝統的な家作り(左上)なら、この国の気候にあった、極めて機能的且つ美しい「和風スタイル」はあったのに!

 

  日本の文化や伝統を憧れる私にはこのような動きは残念でならない。元々日本人ではないので 本来 意味 でここは私の「故郷」ではないかもしれないが、所謂心の故郷であった:小さくて、謙遜な庶民的な町。この心の 拠点にあった自分 の「ルーツ=根」が失いつつある事を感じるのは私だけでしょうか。英語では自分の故郷を無くしたことはいかにも”uprooted”と言う。偶然 か。 

   

1)  日本 気候 文明 に関して 清水 馨八郎の「 日本 文明 真価 」は 参考 になる。

 

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「世界人類の多くは、今や機械文明というものに噛み殺される。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、
人を殺さざるべし」
田中正造 
   

 

お正月の日の出直後

Hayama Life – 異国人の異見

もうちょっと短い文章はPDFファイルとしてダウンロードできる→ https://yahoo.jp/box/EERo5z

以下の町づくりに関する写真(ほぼオリジナルサイズ=もっと見やすい)は Google Photos にも乗せました:

https://photos.app.goo.gl/ihvl9knqqJ58Ouop1

私のような何も分からない異国人はこの葉山町の状態や政策に関して口を挟むべきではないでしょうが、町づくり協会の理事として町づくりに貢献すると期待されている上で矢張り一度意見(異見)の一部を述べさせていただきます。

現時点でこの町に27-28年程住んでいるから、自分は何となく「地元」の者と認識しています。仕事柄で物事を生物、取り分け人間の体+精神、に例える癖ありますので、葉山町も一体の生物として捉えたいと思います。
結論は先に言いますと、この町=体の健康状態は余り宜しくありません。

仙元山からの景観

今年の4月から招かれ、どのような事をすべきかが全く分からないままで葉山の「町街づくり協会」の理事にもなりました。与えられた役割は協会のHP運営する事になりました。日頃理事会などの集まりで話し合われている「政策/政治的」や「予算的」のお話の一部しか分かりません。

協会のHPは定款で定めた葉山のイメージや「別荘文化」に基づいて情報発信し、葉山の生活と文化を大事にすべきとの指示在りました。又は、英文ですと "to keep and create our Hayama Life" があります。

しかし、私にはこの「葉山のイメージ」と言うのはどんなイメージかが良く見えません。他人と異なるのイメージがあるかもしれません。更に、上記の英文にある "our" = 我々が下記に再度触れる富裕層をさしている印象を受けます。「別荘文化」は歴史的な背景の前で発展して来たが間違いないでしょうが、**今**現在圏外な富裕層が地域社会に貢献しない/責任を持たない形で葉山を利用しているように見受けるから、宜しくない負の遺産のように見えます。
この右側にある「家」=別荘(特に酷い例)私は「葉山刑務所」と称しています。
*ここに並んでいる写真は全部灰色ぽい。

この右側にある「家」=別荘(特に酷い例)私は「葉山刑務所」と称しています。
*ここに並んでいる写真は全部灰色ぽい。
左の写真と友に見れば分かる:道や隣接の家(人)に向けて窓一個もあります。太い鉄格子の「玄関」のみ。恰も:「私はあなた達を付き合わないぞ」といっているようです。
別の例です。以下にも「近寄るな」との雰囲気です。
御殿の入り口。Welcome されている様子が全くありません。こちらの世界と「あの世」のような隔たりです。
真名瀬にある「コンドミニアム」=億ション。毎日通るが平日はだれもいない。土日曜日1-2か所に電気付く程度。無論建物灰色(軍事施設風)
真名瀬港の繁多川にある超豪華アパート。建てられているから数年経ったが、つい最近左下にものが入ったようです。しかし、人はいません。こちらも無論建物灰色(軍事施設風)
一般の家でも "Hayama Life" が灰色一触のようです。これは特別な例ではありません。似たような灰色のコンクリートブロックは葉山町に数多く見られます。

私の患者の中に80年代の漁師もいます。その人たちは全員:「昔はこの町でドアに鍵をかける必要性はありませんでした。」と言います。別世界の別荘を作って来ました人たちは災いも町に呼んできました。
昔、圏外な富裕層(大企業の社長など)が「殿様」のような役割を果たし、町に「家来」や「召使」を置き、その他にもある程度地域社会に貢献しました。
しかし、今はそのような殿様の大部分が企業の保養所と共に姿を消し、単純に圏外のお金持ちがこの町で別荘をつくります。余談でしょうが、建築現場を通ると業者の車を見て分かるのは:地元の業者が使われません。御殿作りの「外注」はもしかして「害虫」とも呼べるかもしれません。町に住んでいない為、地域社会に関して責任も関心も持たず、別荘の「スタイル」や環境への影響も一切考えなくて結構のようです。町=行政は別荘を作って何か私に理解出来ない形で税金等を納めてしまえば、後はお好きにして下さいと言った対応しているようです。

工事現場にある職人さんの車:品川と世田谷ナンバー
葉山小道はこんな風
海に面している会社の「保養所」。軍事施設に見えます。
上記の「刑務所」もふくまれるが、この「町並み」のスタイルは如何でしょうか。このスタイルで葉山町が観光名所になれるでしょうか。

お蔭様で葉山町の自然環境が見る見ると「破壊」発され、漁村の時にあったと思われる「街並み」は跡形もなく消え去りました。現在の「街並み」は体の外観で例えてしまえば、統合失調症などの患者に見えます。この街並みを見に来る観光客がいるととても想像し難いです。
今更葉山の完全無秩序な街並みを修正したりする事は無理でしょうが、私は負の遺産と考えている思考や行動を町づくり協会の一員として応援し、継続させる事が信念に反します。

家の近く。木の根っこは辛うじて地面に付いている。危ない!
神明社。写真でよく見えないが、松に絡んだ蔓私は(無断で)切(治療した)、松は原気になった。
同じ神明社で手前にあった太い松の木が切られた。病気か。それとも矢張り手入れの怠りか。
御用邸でさえ多数の木に蔓が絡み、それらの木が時期に死ぬと予想します。手入れする気はないでしょうか。

 

「葉山のイメージ」=Hayama Life は英文で” to keep and create our Hayama Life” で表現されています。別荘文化を背景にある「我々= our」は矢張り富裕層を指して間違いないでしょう。一般庶民は自分の家でさえ持てないなら、別荘を持っている人たちと別世界に住んでいます。地域社会の一員でない、別世界の人々はここで好き勝手放題出来る遊び場として売り込む葉山のイメージ=Hayama Lifeも町が好きですから街を大事にしたい人にとって受け入れがたいです。または、別荘からこそそこに普段何方もいません。多数の別荘を抱える町は気をつけないと「ゴーストタウン」になりかねません。真名瀬にある二棟のコンドミウムは以下にも極めて豪華でありながら幽霊マンションです。
出来ましたら町のために「葉山のイメージ」を少々一新し、町民に「葉山人気質」の意識があれば嬉しいです。現時点では周りを見て、「葉山人気質」が乏しいように思います。自称の芸術家(こちらも富裕層の人が多いようです)や遊びにしか来ないお金持ちの人たちで「生きている町」が誕生や発展する事見込め難いでしょう。


 

品川の豪華タクシーがカーブの真ん中に止まり、全ての人に迷惑を掛ける。でもそれはお構いなし・・・

 

街並み」は統合失調症の印象を与えているならば、周りを見て、日本人が2600年の歴史と誇るべき豊富な伝統のある人である事が行動、伝統の意識や言語(自意識)*の使い方から読み取れない所あります。外国人である私は昔から日本人が自分のルーツは大変素晴らしい伝統(技術)をもっと大事にすべきといい続けて来ました。今のままでは、また専門用語で申し訳ありません、自我同一性危機 (identity crisis) があると思わざるを得ません。
言語の事。見渡す限り日本人は自分の言語=日本語に関して意味不明な劣等感を抱いているのではないかと思わざるを得ません。町を歩いて普通の家の名札の1/3ほど自分の「正しい=公文に表記されている形よりもアルファベットで書いてあります。自分の名前は恥ずかしいのでしょうか。町(葉山だけではない!)の9割以上のアパートやマンションに意味不明な、カタカナで表記される名前がついています。老人施設や医院の場合そこにお世話になる殆どの老人がその名前何を表しているかも分からないし、悪い場合発音でさえできません。そして何かの「大会」をやる時、それを「フェスト」と言わざるを得ないようです。「大会」ってどこが悪いでしょうか。
逆に(外国人)観光客の為にわざと作った「道の名前」にアルファベットを書き加えますが、日本語の分からない外国人はそれらの street name の殆ど解読出来ません。凄い役に立つでしょう。

 

マンションは当然日本語ではなく、英語もどき = Grand City でないといけないようです。
店の看板はどうしても横文字にしたければ、特に洋食の場合、それはそれで結構ですが、せめて(単語一個しかない)正しいスペルをつかいましょう。
お年寄りに聞いてしまえば、多分自分はどんな所でお世話になっているかが分からないかもしれません。

ラヴィーレは施設のHPによると「らヴぃー」=フランス語= la vie = 人生 + レ= re = 再びで作られている造語だそうです。しかし、"re-" は英語で "prefix" と言って、言葉の***前***に置かれ、その言葉の意味を変えるものです。例えば "renewal" は見た/聞いた事あるでそう。それは勝手に "newalre" にしてしまえば、だれにも通じない。

日本語には明らかな「単位」で区切れているのに、横文字は全部続いているから、どこで「切れば」分からないでしょう。

 

この町= community を少々良くするならば、先ずはもっと若い方に声を掛け町づくりに参加して頂く事が望ましい。又、なるべく永住するような職人を招いて、職人気質(個人的それを「職人の武士道」とも称したい所。真面な職人は富裕層や「芸術家」のようなフラフラする者と違って一定の信念を貫く傾向あります。)、を大事にする職人の町にする事は今更生き生きした町に貢献しない別荘文化を促すより良いと信じています。そして葉山人気質に誇りを持っている町民を少しでも増やせたら理想的でしょう。葉山町の行政にもそのような考えを理解して下さるとなお助かります。

この目標に向かって頑張ってみる価値はあります。別世界の人に町を遊び場として提供する事はやるべきことではありませんと確信しています。

森戸神社だけに雨が降っている。関係者の行いが悪いのでしょうか。

 

 

 

ここから新しい記入と写真を入れる「予定」している:

 
観光シーゼン・・・環境客は地元のお店などにお金(飯の種)を運んでくれる事に関して感謝しなければならならいだらう。 しかし、そのような観光客はマナーも常識もない、行儀が悪いし、町全体をゴミで埋めてしまう。程自分達がワショイワショイと運んでくれた飲食物などの残骸を文字通り「山積み」になって、風やカラスなどで当たり前面に撒き散らされる。

右に見えるゴミ・・・コンベニでコンロを買って、海でBBQを楽しんだ後でゴミとコンロを丸ごとを残してくれる。

それはだれかあの連中の家のまん前にやればどうなるだろう。

所々で小さな神様は地域を静かに見守ってくれる。

ワーワー騒ぐよそ者と違って。

日本人はこの静かな気持ちを取り戻して欲しい!私は日本がが「時代の流れ」にそれこそ流されてしまっているから、周りに何が起きているかが見えなくってしまったような気がする。

現代人は何でも物事を素早く片づけてしまわないと、何か損をする、
つまり、時というものを無駄にして、損をしたなどと考えるようだが、
では、現代人が得をしたと考える時をいったいどうするのかと言えば、
それを無駄にする以外に何ら方法を知らないのである。
Erich Fromm ( エーリッヒ・フロム : 1900-1980 )
ドイツ生まれのアメリカの精神分析学者

漁村から「高級リゾート地」へ